手嶋さんは一昨年にNHKを退局、現在は外交ジャーナリストとして活躍している。昨年、独立して初の著書となるインテリジェンス小説
『ウルトラ・ダラー』 が刊行1か月で 20 万部を超えるベストセラーになった。
「なぜ小説なのかと、よく聞かれるのですが、この原稿の骨格は出版される前年の夏までにほぼ書き終えていました。その時点でまだ現実に起きていないことを書こうというのですから、これはノンフィクションとは呼べません。それが理由のひとつ。ただ、たとえば金融小説のような、取材した内幕を小説の形を借りて表現するドキュメント小説とは少し違うように思います。今はまだ現実になっていないが、近い将来、高い確度で起こりうるという判断、情報──つまり、インテリジェンスを基盤にして、この小説は書かれているからです。そして、このことがもうひとつの理由。機密性の高い情報を文字にするからには、ニュースソースの秘匿が必須です。この本にも複数の情報機関から得た多くのインテリジェンスを投入していますが、情報源が明らかにならないように二重底、三重底のめくらましを凝らしました。その必要からも、これは小説だと言っているのですが……。しかし、本の帯で編集者に“これを小説だと言っているのは著者たった一人”と書かれてしまいました(笑)」
小説 『ウルトラ・ダラー』 は、真贋の区別がつかないほど精巧な偽ドル紙幣“ウルトラ・ダラー”がダブリンで発見されたところから始まる。真相を追う主人公の前に次第に明らかになる数々の陰謀──
30 年前の日本人拉致事件、消えた印刷機、マカオでの資金洗浄、核搭載可能な巡航ミサイルの密輸入。すべての点と点が結ばれる時、ある大国の意図が浮かび上がる……。
スパイ小説として読んでも純粋に楽しめる第一級の仕上がりだが、それ以上に話題をさらったのは、小説に書かれた内容がその後の一連の北朝鮮報道で次々と現実化したことだった。このことは、手嶋さんが握っていた情報(インテリジェンス)の確度の高さを物語る、何よりの証左に他ならない。
手嶋さんは外交ジャーナリストという自身の仕事を「広い意味で、インテリジェンスにかかわる仕事」と言う。では、インテリジェンスとは何なのか?
「小説に登場するオックスフォード大学の教授の言葉を引用してお答えすれば、インテリジェンスとは知性によって彫琢された情報のことです。河原の石ころをいくら拾い集めても、石ころは石ころのままですが、心眼を備えた者が見つめると石ころに秘められた特別な意味があらわになる。これと同じように、集められた雑多な情報の中からインテリジェンス・オフィサー(情報分析の専門官)が有益なものをより分け、裏を取り、配列し直し、その真意を読み込んだ情報がインテリジェンスです。国家の舵取りをする人たちに提供され、国際政治の中では大きな武器となるものと言ってもいいでしょう。僕の仕事は、このインテリジェンスを取材し、人々に伝えることです」
手嶋さんはさらりとこう言うが、それが容易な仕事でないことは誰の目にも明らかだ。機密指定が付された公電、極秘会談の内容、表には出ない外交官の覚書。こうした情報にアクセスすることも困難ならば、その扱いにも慎重を要する。インテリジェンスにかかわる人の常として、手嶋さんも簡単に手の内を明かそうとはしないが、その苦心の一端は次のエピソードからも窺い知ることができる。
ワシントン特派員時代、手嶋さんは重要な取材は自宅で行っていたという。国際政治都市という特殊で小さなこの街で公の場を利用すると、誰と会っていたかが筒抜けになる恐れがあるからだ。したがって、機密情報を持つ人物との面会はプライベートな空間に限られる。しかも母国語を使わない取材。ときどき席を立ってトイレに駆け込んだそうだ。忘れないうちに話の内容をトイレットペーパーに書き写すために……。 |