額には小さな流星がひとつ。鹿毛の馬体はつややかに輝いている。ディープインパクトは、白いソックスを右前脚と左後脚にはいて、東京競馬場のターフに勇姿を見せた。すると12万の観衆から大地を揺るがすような歓声が沸き起こった。
この駿馬を育てたノーザンファームの吉田勝己さんは、その光景をスタンドの高みから黙って見おろしていた。彼の瞳にかすかな閃光が走りぬけ、孤独の影が落ちたのはその時だった。ふだんは、おおらかで、けっして人をそらさない、このひとの後姿にいつにない烈しい決意が滲んでいる。今年のジャパンカップこそ、自らの人生にひとつの句読点を打つ舞台になると思い定めていたのだろう。戦いのときを告げるファンファーレが鳴り響くと、もう誰も話しかけようとしなかった。北の牧野にひとり立ちつくすように、人々の喧騒から遠ざかっているように見えた。
サラブレッドはその熱い体内に流れる血によって駆けるといわれる。だからこそ、勁い馬を育てることを使命とするブリーダーは、未来を切り拓く新たな血脈を見つけ出そうと心血を注ぐ。いまターフにいるディープインパクトを世に送り出したのは、偉大な父サンデーサイレンスだった。私は、この種牡馬を買い取るドラマの現場に居合わせた。この時の出来事を近著『ライオンと蜘蛛の巣』に書いたのだが、これがギャロップ編集部の眼に留まったのだろう。ふだんは外交を扱うジャーナリストに競馬観戦記をという風変わりな求めが舞い込むことになった。
その獲得劇は、まさしく「漆黒の恋人を追いかけていた頃」と言い表すのがふさわしい数奇に満ちた物語だった。アメリカ東海岸最大のカジノ都市アトランティック・シティ。吉田勝己さんと私は、ルーレットの戦いで大勝しつつあった。そのとき、いまは亡き吉田善哉さんから突然国際電話が入った。
「小博打などにうつつを抜かしている奴がいるか。とびっきりの種馬を探してわれわれは、日々大博打を打っているんじゃないか」
サラブレッド生産界の天才といわれたヨシゼンの怒りは収まらなかった。このひとことに押されて、吉田勝己さんは、ケンタッキーダービー馬、サンデーサイレンスの買収交渉に西海岸へと急遽飛び立っていった。当時のアメリカでは、超良血のイージーゴアに人気が集まり、50億円近いシンジケートが組まれようとしていた。だが、サンデーサイレンスは牝系が貧弱だといわれ、種牡馬としての成功を予測する人は少なかった。それでも買い取ろうとすれば16億円。日本の種付け料が当時100万円前後だったことを考えれば、破格の高値だった。当時の吉田親子にとっては、牧場の命運を賭けなければならない大博打だったのである。だが野性の血を探し求め、それが炸裂する日をひそかに夢見て、すべてをこの漆黒のサラブレッドに託したのだった。そこに息づいていたのはあの開拓者魂だった。
フロンティアに単騎分け入る血脈を引くノーザンファームの人々。彼らがディープインパクトを送り込んだ舞台は、貴族の世界を思わせる凱旋門賞だった。だが、このサンデーサイレンス産駒は、3着に敗れてしまう。そのうえ、薬物を使用していたとされ、失格の裁定がくだされてしまう。彼はぽつりと言った。
「細かいことは僕にもわからないのだけれど、競走能力を高めるために故意に与えたことではない。これは間違いなし、風邪気味だったのかもしれない。それでもあれだけ内容の濃いレースをしてくれたから、やはり強い馬なんだ」
そんなつらい出来事のあと、東京競馬場で行われたリターンマッチ。それだけに、ブリーダーの彼にはひそかに期するところがあったのだろう。
ディープインパクトは、スタート後、最後方で折り合いをつけ、3コーナーで鞍上の武豊騎手から「天を駆けろ」と合図を受けとると、外を回っていつものように飛ぶような走りを見せた。後続の馬たちをぐーんと引き離し、悠々と勝ちを収めたのだった。それはいつものディープインパクトだった。吉田勝己さんは、この瞬間も表情を一切読ませず、声も出そうとしなかった。大股でディープインパクトの凱旋を出迎えるため、検量室に下りていった。オーナーの金子真人さん夫妻がすでに待ち受けていた。
「レースで泣いたのはこれが初めて」
みね子夫人はそう言って淡い紫の毛がついた帽子に手をやった。これは単なる勝利ではない。威信をかけた戦いだった――関係者の皆がそう思っていた。
有馬記念を最後にディープインパクトは、社台スタリオンステーションに帰って父の跡を継ごうとしている。必ずや父を凌ぐ名種牡馬として大成させてやる。そして、ドバイやヨーロッパのオーナーたちが種付けを懇請してくるようなサイアーに育ててみせる――。吉田勝己さんの横顔は、そんな日を必ずわが手でと意を決しているように見えた。 |