「国際政治の研究者とは、熾烈な競争を生き抜かなければならない銀幕のスターのようなものだ」

 何としゃれたコメントなのだろう。純白の詰襟が輝く黒の僧服に身を包んだその人は、講義に聞き入る我々をゆったりと見まわし、静かに後ずさっていく。そして教壇にひょいと腰掛けて黒い靴下を右、左と引っぱりあげ、絶妙の間をとってみせた。

「サイレントの時代は去り、トーキーの時代が幕を開けてみると、一世を風靡したスターたちはあらかた姿を消していた。生き残ったのはほんの一握りだった」

 冷たい戦争からポスト冷戦へと、学者が二つの時代を生きのびるには、チャップリンほどの天分が要る―。講壇のブライアン・ヘア教授は、国際政治学者にしてカトリック神父だった。

 冷戦が終わった九十年代初め、私はハーバード大学の国際問題研究所でこの教授に師事した。超大国アメリカはいかなる条件のもとなら力の行使を許されるのか。この難問に敢然と挑んだのが僧衣のヘア教授だったからだ。歴代の大統領が伝家の宝刀に手をかけようとして思い悩み、幾度教授に助言を求めたことか。

 ヘア教授は、危機の国際政局に臨む指導者像を講じながら、近くのセントポール教会の司祭でもあった。ハーバード・ヤードを歩きながら私にそっと打ち明けた。

「大学では核の危うい均衡を論じているが、実は教会の古びたステンドグラスがいまにも落ちてきそうでね。でも修繕費のやり繰りがどうにもつかない」

 この教会のクリスマス・ミサに招かれた。ヘア神父は、ボスニアやルワンダで流血が絶えなかったその年を振り返って聴衆に語りかけた。

「イエスは我々の願いを容れて来られたのではない。自ら進んでみえたのだ」

 核の時代を生きる我々もまた新たな世界の秩序を打ち立てるため自ら身を挺さなければならない―。説教はいつしか現下の国際情勢へと移ってゆき、カトリック教徒ではない参会者たちもじっと聞き入っていた。

 私は常の学校を毛嫌いし真剣に学ぼうとしなかった。ヘア教授という恩師を得て、学校ともっと真摯に付き合っておくべきだったと思い始めていた。こうしたほろ苦い思いを慧眼の師は見抜いたのだろう。

「前線のジャーナリストは学びすぎてはいけないんだよ。国家が戦争に迷いこもうとしていると直感すれば、まちがいを恐れず報じるべきなのだ。凡百の知識は真実に遡及していく力を萎えさせてしまう」

 俗世に還っていく不肖の弟子へのはなむけの言葉だった。

 
月刊「小説新潮」2006年8月号

 


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