馬と少年―。

 北海道に生まれ、育った僕にとって、牧野を駆け巡る馬たちは、親しい友だちでした。豪雪地帯だった空知には、馬橇が常の暮らしのなかにまだ存在していました。手綱をとるおじさんの目をかすめて、馬橇にぶらさがる。それは心躍るような冒険でした。競馬にかけてもプロフェッショナルだったなあ。中央競馬に地方競馬、ばんえい競馬まですべて揃っていましたから。親に頼んで馬券を買ってもらったと、ここは上品に申し上げておきましょう(笑)。

 我が家はツキに恵まれた一家でした。小学生の頃、両親と地方競馬に出かけ、帰りのタクシーのなかで札束をみつけたこともありました。警察には届けましたが、競馬で当てたお金なのでしょう。落とし主は現れなかった。半端な額ではありませんでした。福祉事務所にでも寄付して新聞に載ったかですって?いいえ、そんな野暮な親じゃなかったんですよ。父は黒いダイヤと呼ばれた頃の炭鉱主でした。それに剛毅な川筋気質が重なって、それはもう大判振る舞い。家の裏には石炭が積み上げられていましたが、真夜中にごそごそと取りに来る人もいる。寒さを凌ぐためにね。「そのままにしておけ」。これが父のせりふでした。
  ですから、そのお金も訪ねてくる手元が不如意な人たちに気前よく配っていました。でも僕にはくれなかったな(笑)。

 炭鉱の零落が誰の眼にもはっきり映るようになった頃には、競走馬もなんとなく大器晩成型が好きになった。きっと高度成長の繁栄から取り残された土地の思いが投影されていたのでしょう。そんな僕らの気分を体現してくれたのが、あのアカネテンリュウ号でした。その名前からして、威勢がよく、どこかあだっぽい。当時の四歳春のシーズンは、同期の優駿たちがクラッシック路線を驀進するなか、鳴かず飛ばず。再起を賭けて函館にやってきたのです。この函館の夏こそ転機でした。ここで連勝し素質を一気に花開かせ、秋の菊花賞まで制してしまった。もう 40 年近い昔の話です。

 手嶋さんのインテリジェンス小説『ウルトラ・ダラー』には、ノーザン・ファーム代表の吉田勝己氏が実名で登場し、『ライオンと蜘蛛の巣』ではサンデーサイレンス購入のドラマが描かれている。手嶋さんと社台ファミリーとの間柄は知る人ぞ知る、だ。

 ケンタッキーの牧場主も、日本を代表するホースマンと認めた吉田善哉さん。その息子照哉さんや勝己さんが引き継いだサラブレッド王国の変遷をずっと身近で見てきました。種馬でいえば、ガーサントからエルセンタウロ、ノーザンテースト、サンデーサイレンス、そしてディープインパクトまで。その歴史はトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』を読むような壮大なドラマといっていい。僕はその傍らにいたひとりでした。

 何故親しくなったか?おそらく僕のなかに反骨のDNAが流れていたからでしょう。出会った瞬間から、もう何の説明も、言葉も要らなかった。善哉さんは実に奇妙な人でした。旧弊なジジイが嫌いで、若い頃から一人前に遇してくれたのです。勝己さんとアメリカのカジノに繰り出したことがあったのですが、「あいつらはなんで小博打などにうつつを抜かすのか」と心底怒った。大博打を打つ。そのエネルギーがサンデーサイレンス獲得劇の幕を開けたのでした。

 そうして手に入れたサンデーサイレンスをぜひ見に来なさいと誘ってくれました。「これでわがサラブレッド王国は安泰だ」とその表情が語っていました。この天才ホースマンは、自らの死期も、やがて訪れる黄金時代も、読みきっていたのでしょう。善哉さんは、サンデーサイレンスが種牡馬として野性の血を炸裂させる日を疑っていませんでした。そこに流れているのは、吉田ファミリーの反骨とフロンティア・スピリットです。

 手嶋さんといって思い出すのはNHKワシントン支局長としての顔。当時はアメリカ競馬を楽しむ余裕があったのだろうか。  

 むしろ休暇でアイルランドに飛び、巡回競馬について旅をしたことが心に残っています。かの地のブックメーカーの多様さが好ましかった。彼らはすべてを賭けの対象にしてしまうからです。アメリカ大統領戦の掛け率も実に正確でした。伝説的な接戦となった民主党ゴア対共和党ブッシュの戦いも正確に予想していました。彼らの読みは、どんな選挙のプロよりも優れていました。その模様をNHKスペシャルで紹介したのですが、視聴者からは、神聖たる大統領選びを競馬に見立てているとお叱りの声が寄せられました(笑)。

<吉田勝巳氏関連>
「吉田勝巳に息づく開拓者魂 −偉大な父を凌ぐ名種牡馬へ」はこちら
「北の大地で世界で戦う馬を育てる」(PDF記事)はこちら

「優駿」2007年5月号掲載


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