遠藤農水相の辞任を機に、安倍政権は再び揺らぎ始めました。内閣改造による人心一新どころか、リーダーシップの弱体化が一層進む可能性が強まり、安倍総理の「再チャレンジ」は絵に描いたモチとなりそうです。今回は政権の意思決定空洞化が、年金や「政治とカネ」といった内政ばかりでなく、外交や安全保障にも及んでいることをしていることを議論しました(※前回の続き)。


手嶋 今度の参議院選挙の結果と内閣の改造は、日本の政治指導部が果たして巨大な官僚機構を統御しているのか、統御する能力をそもそも持っているのか問いかけるものでもありました。小選挙区制の導入にあたっては、その利点として、政党による政策論争が活発になることで、政策本意の政治が実現するというものでした。政治の官僚統御を担保するために、各省に副大臣や政務官のポストが沢山出ました。しかしながら、これらの政治家が官僚機構を統御して政策決定をリードしているかというと、大いに疑問だといわざるを得ないのです。取材の手の内を明かすのは気が進まないのですが、正直に言いましょう。取材対象として政務官なり副大臣に会ったことがありません。なぜならば、彼らは、枢機に少しも参画していないからです。私は、外交や安全保障の分野で申し上げているのですが、金融ジャーナリストでもある阿部編集長は、財務省の政務官や副大臣に取材で会ったことはありますか?

阿部 いえ、会ったことありませんね。周辺的な些細な情報なら政務官も知らされているケースはありますが、財政政策の舵取りに関与させてもらっている節は残念ながらありません。むろん大臣なら情報は聞かされています。官僚機構の人事権を一応握っていますからね。

手嶋 やはり、外交から財政にいたるまで、政治指導部が全てを決めるというのは、制度上のタテマエに堕しているのですね。いまなお官僚機構が実質的な権力を掌握しているのが現実なのでしょう。「官治国家」という実態は、いまだに変っていない。しかしながら、制度上は、権力が官僚機構から政治の側に委譲されたことになっていますから、日本政治の機能不全は複雑骨折に喩えられるほど、込み入ったことになってしまっています。
阿部 制度的には政治が決めなければいけないのですが、実際のところ、2代目、3代目の世襲政治家には決めるだけの情報も経験も構想力もなく権力欲しかないから、官僚がおんぶにだっこせざるをえない。しかし、いまの霞が関には戦前の内務省、戦後の大蔵省のように、他省庁に君臨する司令塔があるとは思えない。いま日本では果たしてどこで意思決定がなされているのでしょう?

手嶋 非常に厳しく言うと、総崩れというのが実情なのでしょう。昭和30年代の財政・経済政策は、旧大蔵、通産といったメガ官庁が取り仕切ってきた。しかしながら、いまの財務、経済産業の中堅官僚で「自分が天下国家を動かしている」と思っている人がいれば、誇大妄想だと思われてしまいます。官僚機構も政治もともに国家の針路を決めることができずにいる。つまり、いまの日本には権力の巨大な空白が生まれているのです。権力の空白ほど危険なものはありません。戦間期のドイツがワイマール憲法下で巨大な権力の空白を生んでしまい、そこから醜悪なナチズムを生んだ教訓を想起せよとは言いませんが、権力の真空状態には警告を発しておかなければなりません。

阿部 確かに政策を誰がどういう見通しで、どういう情報をもとに決めているかと言えば、もう「誰が」という主体はなくなりつつありますね。経済的にも外交的にも非常に重要な対外関係においても、同盟国に対して誰がどういう狙いで政策を決めているかというのが全然はっきりしません。日本人にとって非常に関心が高い朝鮮半島の核問題が、誰の目から見ても日本は脇役に押しやられている。日本は果たしてアメリカの同盟国なのか。こんな基本的なことさえ曖昧になりつつあります。

手嶋 本当に大切なことは小さな声で語られるといいます。阿部編集長は聞き取れないくらい穏やかな口調で聞き捨てならない指摘をするから曲者です(笑)。日本人が半世紀にわたって国家の命運と日々の暮らしを半ば委ねてきた日米同盟に異変が起きています。いまや北朝鮮の核問題を話し合う「6カ国協議」なるものが、多国間対話の外交メカニズムとして、日米同盟の上にずっしりと載っている。6カ国協議が上位で、日米同盟は下位。そんな奇妙な構図になっています。日米同盟が6カ国協議の風下に立っている事実は、安全保障同盟に亀裂が入り、同盟が空洞化していることを意味しているのです。

阿部 安倍内閣は、社会保険庁の問題や政治資金の問題という内政上の問題に躓いているだけではなく、日本が安全保障を大きく委ねている日米関係の運営そのものにも失敗しているというわけですね。その具体的な例をもう少し聞かせてください。

手嶋 初代防衛相の久間章生氏の原爆発言がその1つでしょう。FACTA8月号のコラム(手嶋龍一式intelligence「久間失言が直撃した日米同盟の『岩盤』」)にも書きましたが、この久間発言こそ日米同盟という固い岩盤を揺さぶったクラスター爆弾でした。

 まず大切な歴史の事実関係が全く間違っている。アメリカは戦争の犠牲者を最小限に抑えるため原爆を仕方なく投下した―これは、後に敗戦国としての日本を東アジアの最も重要な同盟相手に選んだこともあって、アメリカの歴代大統領が言い続けてきた政治上のタテマエに過ぎません。

 しかしアメリカは真珠湾攻撃の報復と原爆を投下したのです。これはトルーマン大統領の公式声明にはっきりと書かれています。であるいじょう、日本の、それも長崎出身の防衛相が「しょうがない」などと言っていいはずがないのです。

 アメリカは重要な戦略上の理由から日本に原爆を投下しました。ヤルタ密約によってスターリンは日本に参戦するという手はずが整っていました。ルーズベルトはスターリンに懇請するように対日参戦に引きずり込みました。しかし、ルーズベルトの死によって冷戦の幕が上がりつつありました。まさにそうしたなかで登場した「冷戦の大統領」トルーマンは、スターリンが対日参戦に打って出る前に、日本を降伏に追い込もうとした。もしソ連の対日参戦を許せば、ヨーロッパだけでなく、東アジアでも、ソビエトに冷戦の主導権を握られてしまうと考えたからです。原爆こそ、スターリンの対日参戦に先駆けて、日本を降伏させる“神の鞭”となると考えた。これは現代史の成果として精緻な資料によって裏付けられています。

 この久間発言は、日米間で「謝れ」「謝らない」という応酬を引き起こす危険をはらんでいました。しかし、日米双方とも絶対譲れない国民感情や大義名分を背負っているだけに、日米同盟は抜き差しならない隘路に入ってしまう恐れがあります。アメリカはトヨタ自動車がその利益を半分以上稼ぎだしている。それによって日本経済が成り立っているといった相手です。しかも、北朝鮮が日本に先制攻撃を仕掛けてくれば、アメリカ軍には必ず介入させなければならない。そういう国家との間に歴史論争のパンドラの箱を開けてしまうような発言、それが初代防衛相の「しょうがない」発言だったのです。

阿部 久間氏が辞任したあと、小池百合子氏を後任に据えましたが、在任4年を超えた「防衛省の天皇」守屋事務次官を強引に更迭したことで大揺れとなり、内閣改造では小派閥の領袖である高村氏を防衛相に据えました。これは民主党が反対するテロ特別措置法の延長問題に備えた布陣にも見えますが、沖縄の普天間基地返還問題はじめ空洞化する日米関係の修復に対し、安倍総理が確たる成算を持っていないことの象徴ではないでしょうか。

手嶋 その通りと申しあげていいと思います。テロ特別措置法をめぐる問題点は次回に詳しく論じたいと思います。こうした日米同盟の不協和音は、従軍慰安婦問題にその一端が見え隠れしていました。安倍総理は「狭い意味では国家が従軍慰安婦を強制的に連れて行ったという強制性は必ずしも歴史的な資料によって裏付けられていない」という趣旨の発言をして米側の烈しい反発を招きました。多少洗練された表現を用いてはいますが、この問題について真正面から謝罪するには、自分の思想・信条からしていやだということでしょう。しかし、民主主義の理念に重きを置くブッシュ政権の存在を考えれば、公の場での発言として通用しないことは明らかだったはずです。

阿部 安倍政権は、この問題は日米首脳会談では取り上げなくてもよいと高をくくっていた節がうかがえました。しかし結局、安倍総理は、初訪米でブッシュ大統領に慰安婦問題を直接謝罪し、あろうことか大統領もその謝罪を受け入れると公に言う局面に立ち至ったのです。日米首脳会談でアメリカ国民が直接関わっていない従軍慰安婦問題が取り上げられること自体いかに異例な出来事なのか。安倍内閣は国際関係に対する見立てを誤り、むき出しの思想・信条を表に出して対処して、日米関係に波乱を引き起こしてしまったわけですね。
手嶋 「力の外交」と表現すれば、権力外交といった印象を与えてしまいます。しかしながら、自国が持つ実力のノリを超えた外交、国力を逸脱した外交などあり得ないのです。安倍外交にはそのような危うさが付きまとっています。日米同盟は単なる軍事同盟を超えて、自由や民主主義という同じ価値観を分かち合う同盟であるといわれてきました。

 であるとすれば、「狭義の強制性を裏付ける根拠がない」という安倍発言は、アメリカと自由と民主主義という価値観をどんなかたちで分かち合ってきたのかと問われてしまいます。現に安倍総理は訪米に当たって、こうした問いに沈黙せざるを得ず、自ら日本国民を代表して謝罪をしなければならなかったのです。一国の総理としてもっと厳しい政治責任を問われてしかるべきだと思います。

 安倍総理は就任直後に、北京とソウルを電撃訪問し、5年間実現していなかった首脳会談を行って、日中関係をなんとか安定軌道に乗せました。中国について大変批判的な人も、日中関係が好転したことの意義は認めざるを得ないでしょう。温家宝首相が来日し、国会で雪解け演説をして、日中関係は安定しているのですから。
このとき、日本側は靖国神社を参拝せずと中国側に約束しなかった。私は中国の要求に屈して「参拝せず」と約束するべきではなかったと思います。ただ、安倍総理は中国への電撃訪問と表裏になっている自らの態度表明を忘れがちです。第二次世界大戦でアジア諸国を中心に惨禍を与えたことに反省を表明した村山談話、従軍慰安婦問題について反省を明らかにした河野官房長官談話を受けて、安倍総理はこの歴代政権の基本方針を自分も受け入れると国会で表明しました。そのことで、日中関係や日韓関係が一応安定軌道に入ったのですが、その意義を本当には学ぼうとしなかったのでしょう。もしわかっていれば、従軍慰安婦問題でああした発言は決してしなかったはずです。

阿部 改造内閣では麻生外相が自民党幹事長に回ったため、これまた派閥の領袖である町村氏が外相に起用されました。六カ国協議では米朝接近が目立ちますが、北朝鮮に対しては洪水被害への支援物資は出すことを表明したものの、日本の孤立(裏返しにいえば、日米間の隙間風)をどうするかの対案は示されませんでした。
前外相が打ち出した「自由と繁栄の弧」という外交のグランドデザインにも乗り気でなく、町村外交が何をめざすのかはっきりしないことは、安倍内閣の外交戦略が政権発足当初の対中、対韓関係修復の花火のあと迷走していることと無関係ではないと思います。

手嶋 安倍総理の従軍慰安婦問題をめぐる発言は、東アジア諸国を念頭に置いて、なされたのでしょう。自民党右派の論客として、ぜひとも言っておきたかったのだと思います。このとき、安倍総理のなかには、アメリカの存在がなかったはずです。しかし、ちょっと後ろを見てみたら、戦後50年以上にわたって東アジアの安全保障をともに担ってきたアメリカの怒りに歪んだ顔が飛び込んできたのです。安倍発言が日米同盟そのものに亀裂を入れかねないネガティブなものだという情勢判断を欠いていたといわざるを得ません。外交をめぐるシャープな感受性を磨くことこそが総理たるものの条件なのだと考えます。

 安倍総理は内政で躓いているだけではない。外交、安全保障、とりわけ日米同盟の運営に躓いている―という先ほどの指摘は正鵠を射ています。

 
(続く) 

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