手嶋龍一

手嶋龍一

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「ジャーナリスト入門」

あの9・ 11 テロを連日の生中継で報じた勇姿は今も記憶に新しい。国際政治の表と裏を知り尽くす報道記者にとって、ジャーナリズムとは何か?

「ニュースを受け取る人々に対してのみ、僕は忠誠を誓いたい」

一生をかけて追い続けたスパイの名前を、温室のバラの名札に刻んでいつくしむイギリス暗号解読機関・元職員の老婦人。ドイツの暫定首都がボンにあった頃、レストランで目撃した「鉄の胃」宰相のすさまじいばかりの食欲。無類のゴルフ好きだが、ミスしたティーショットを何度も打ち直すことから「マリガン大統領」と揶揄されたビル・クリントン前大統領……。

近著 『ライオンと蜘蛛の巣』 では、世界の 29都市を舞台に、そこで出会った人々や起きた出来事をクールな筆致で描いてみせた。格調高い文体と鋭い観察眼。そして、短編の連作を読了したかのような不思議な読後感。本の帯には「小説のようなノンフィクション」とある。

一般に、日本のジャーナリストが書くノンフィクションは、自ら取材した事実をもとに著者の主張を展開したものが多い。しかしこの筆者は、それを潔しとしないようにも思われる。過去の著書の中には、主語となる「私」をあえて封印して書かれた作品もあるほどだ。

いったい、どうして?

「ジャーナリストは常に現場にいます。それゆえ対象に近すぎて、かえってエッセンスを見過ごしてしまうこともあるのです。眼前に見ているものが必ずしも真実ではない、と言ってもいい。現場での目撃に信を置きすぎると、つい、独りよがりの分析になってしまいがちです。僕はこれまでのささやかな体験から、自分の眼も疑え、という教訓を得て、いつしか自分をも醒めた目で見るようになりました。自分の主観を突き放し、シーンや情景、発言など現場の様子をできる限りクールに書き留めたい、と常々思っています。現に、海外の骨太のノンフィクションは一人称をほとんど登場させません。もし僕の著書に他と違った印象を受けられるなら、日本風の私小説的ノンフィクションの伝統からやや離れているからではないでしょうか」

感情を表に出さないポーカーフェイス。淡々としたソフトな語り口も“あの時”のままだ。

2001年9月11日、米同時多発テロ。たった1日でその後の世界がガラリと変わった未曾有宇の事件を、 11 日間連続 24 時間体制の生中継で日本に報じた元NHKワシントン支局長、手嶋龍一さんその人だ。

インテリジェンスとは知性で彫琢された情報

手嶋さんは一昨年にNHKを退局、現在は外交ジャーナリストとして活躍している。昨年、独立して初の著書となるインテリジェンス小説 『ウルトラ・ダラー』 が刊行1か月で 20 万部を超えるベストセラーになった。

「なぜ小説なのかと、よく聞かれるのですが、この原稿の骨格は出版される前年の夏までにほぼ書き終えていました。その時点でまだ現実に起きていないことを書こうというのですから、これはノンフィクションとは呼べません。それが理由のひとつ。ただ、たとえば金融小説のような、取材した内幕を小説の形を借りて表現するドキュメント小説とは少し違うように思います。今はまだ現実になっていないが、近い将来、高い確度で起こりうるという判断、情報──つまり、インテリジェンスを基盤にして、この小説は書かれているからです。そして、このことがもうひとつの理由。機密性の高い情報を文字にするからには、ニュースソースの秘匿が必須です。この本にも複数の情報機関から得た多くのインテリジェンスを投入していますが、情報源が明らかにならないように二重底、三重底のめくらましを凝らしました。その必要からも、これは小説だと言っているのですが……。しかし、本の帯で編集者に“これを小説だと言っているのは著者たった一人”と書かれてしまいました(笑)」

小説 『ウルトラ・ダラー』 は、真贋の区別がつかないほど精巧な偽ドル紙幣“ウルトラ・ダラー”がダブリンで発見されたところから始まる。真相を追う主人公の前に次第に明らかになる数々の陰謀── 30 年前の日本人拉致事件、消えた印刷機、マカオでの資金洗浄、核搭載可能な巡航ミサイルの密輸入。すべての点と点が結ばれる時、ある大国の意図が浮かび上がる……。

スパイ小説として読んでも純粋に楽しめる第一級の仕上がりだが、それ以上に話題をさらったのは、小説に書かれた内容がその後の一連の北朝鮮報道で次々と現実化したことだった。このことは、手嶋さんが握っていた情報(インテリジェンス)の確度の高さを物語る、何よりの証左に他ならない。

手嶋さんは外交ジャーナリストという自身の仕事を「広い意味で、インテリジェンスにかかわる仕事」と言う。では、インテリジェンスとは何なのか?

「小説に登場するオックスフォード大学の教授の言葉を引用してお答えすれば、インテリジェンスとは知性によって彫琢された情報のことです。河原の石ころをいくら拾い集めても、石ころは石ころのままですが、心眼を備えた者が見つめると石ころに秘められた特別な意味があらわになる。これと同じように、集められた雑多な情報の中からインテリジェンス・オフィサー(情報分析の専門官)が有益なものをより分け、裏を取り、配列し直し、その真意を読み込んだ情報がインテリジェンスです。国家の舵取りをする人たちに提供され、国際政治の中では大きな武器となるものと言ってもいいでしょう。僕の仕事は、このインテリジェンスを取材し、人々に伝えることです」

手嶋さんはさらりとこう言うが、それが容易な仕事でないことは誰の目にも明らかだ。機密指定が付された公電、極秘会談の内容、表には出ない外交官の覚書。こうした情報にアクセスすることも困難ならば、その扱いにも慎重を要する。インテリジェンスにかかわる人の常として、手嶋さんも簡単に手の内を明かそうとはしないが、その苦心の一端は次のエピソードからも窺い知ることができる。

ワシントン特派員時代、手嶋さんは重要な取材は自宅で行っていたという。国際政治都市という特殊で小さなこの街で公の場を利用すると、誰と会っていたかが筒抜けになる恐れがあるからだ。したがって、機密情報を持つ人物との面会はプライベートな空間に限られる。しかも母国語を使わない取材。ときどき席を立ってトイレに駆け込んだそうだ。忘れないうちに話の内容をトイレットペーパーに書き写すために……。

ジャーナリストは誰のためにニュースを伝えるのか?

手嶋さんの経歴を見ると、まさにインテリジェンスが飛びかう国際政治の最前線の現場に常に身を置いていたことが分かる。NHKの政治部で外務省、首相官邸などを担当したあと、冷戦終焉時のワシントン支局へ。ハーバード大学国際政治研究所フェローを経て、ドイツ・ボン支局長、そして再び古巣に戻ってワシントン支局長に。この間、世界は大きく揺れ動いた。

さぞや高い志でジャーナリズムの世界に飛び込んだのだろうと思いきや、こんな返答が──。

「ガッカリさせて悪いのですが、実はNHKに入ったのもそれほど深い理由があったわけではないのです。学生時代、父親が経営していた炭坑会社の株を元手に、株式相場で奇跡的に鮮やかな勝ち方をしました。そのため勤労意欲も希薄で、株で得たお金で気ままに生きようかとも思ったのですが、やはり世間体が悪い。ちょうどその頃に読んだスパイ小説に英国BBCの局員でダブルエージェントの主人公が活躍するものがありました。BBCは日本で言えばNHKか、と(笑)。試験を受けたら、間違って採用されたという次第です」

ところが入局して、手嶋さんは当てがはずれたことを知る。「これはどの会社でも同じでしょうが、上司にあれをやれ、これをやれと、いろいろ命令されるわけです。僕にはそれが不思議でなりませんでした。こんな安い給料で命令されて働かされるのはたまらない、自分で自由に取材させてもらいたい、と。そこで思いついたのですが、給料をいっさい受け取らないことにしたのです。お金は持っていましたからできたのですが、ただ、これが続いて上司が管理責任を問われそうになったので、手じまいにしました。請われてしぶしぶ受け取ったわけです。それ以降は好きなように仕事をさせてもらえるようになりましたが、同時に、組織から見てコントロールのきかない存在と映るようになったことでしょう」

ふだんの柔らかな物腰からは想像できない、手嶋さんの意外な素顔だ。さらに政治記者にとって憧れのはずのワシントン特派員という仕事すら、「誰もやりたがらないキツい仕事だから、僕にお鉢が回ってきただけです」と言ってはばからないのだが、半ば謙遜があるにしろ、その口調に皮肉や自嘲めいた響きはない。むしろ、組織にへつらわない手嶋さんだからこそ、誰もが認める高いレベルの仕事を残せたのではないか。

手嶋さんは言う。

「ジャーナリズムという仕事には、それを誰に向かって行うのかという問題があると思います。スクープを飛ばしてデスクを喜ばせたい、組織の中で重きをなしたい、そういう動機も否定するものではありませんが、それではジャーナリストと名乗っているだけの、悪い意味でのサラリーマンになってしまいます。組織や会社、メディアといった中間物を経て、ニュースが最終的に届けられるのは読者や視聴者です。僕は、自分のニュースを受け取る人々のためにのみ、忠誠を誓いたい。これまで自分はいつもそうしてきたと思い上がったことは言いませんが、少なくともそうあり続けたいと思っています」

すべては情報の受け手のために──。手嶋さんのジャーナリストとしての矜恃である。

「ダカーポ」通巻 599 号、 2007 年2月7日号掲載

日刊現代掲載

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