手嶋龍一

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「インテリジェンスをめぐる迷宮」

『ウルトラ・ダラー』解説

紺の防寒服を着た男が黒龍江のほとりに佇み、青黒い川面の彼方に広がる街の灯にじっと見入っていた。大型のサーチライトが対岸の国境警備隊を数分ごとに照らし出す。中国の公安当局は、中ソ国境の要衝ブラゴベシチェンスクに情報網を張り巡らしていた。防寒服の男はそれを統御するスパイ・マスターだった。瞬時でも判断を誤れば彼の地の情報網を壊滅させてしまう――。彼の面差しに浮かんだ暗い険は、忘れえぬ残影としてわが胸底に沈殿した。

『ウルトラ・ダラー』を書き進めるうち、あの中ソ国境の光景が脳裏をよぎって筆先が凍りつくことがあった。この物語が深く依拠している情報源を危地に近づけてはいないか――。防寒服の男が抱いた同じ恐れに囚われる日々だった。

戦後の日本が生んだ稀有なインテリジェンス・オフィサー、佐藤ラスプーチン氏は、月刊「文藝春秋」の書評に『ウルトラ・ダラー』を取りあげ、「冷戦後、日本人によって書かれた初の本格的なインテリジェンス小説だ」と喝破した。この作品がなぜ小説の形をとったのか。それを「情報源を秘匿するために、『本当のような嘘』と『嘘のような本当』を適宜ブレンドする必要があったのだ」と見立てている。だが、著者の立場からはそれでもなお安心できなかった。インテリジェンスが内に秘める業の深さを知っていたからだ。

インテリジェンスとは、膨大な一般情報の海から、国家の舵取りに欠かせない情報を選り抜いて分析を重ね、未知の事態を予測する技なである。それゆえインテリジェンス小説は、現実の出来事をなぞるのではなく、近未来の領域に踏み込んで迫りくる危機を描いてみせなければならない。確かに『ウルトラ・ダラー』を書いていた時点では何事も起きてはいなかった。世界最小にして最強の捜査機関、アメリカのシークレット・サービスが、偽札を密かに流通させていたマカオの黒い銀行に捜査のメスを入れたのは物語の完成後だった。ゲラで事実関係をチェックしてくれた金融関係者は「ニューヨーク・タイムスが報じる北朝鮮の偽札絡みの事件に接していると、日々のニュースがこの物語を追いかけているという気がする。まるで偽札世界のイザヤ書だ」と溜息を漏らすのを聞いて、ひそかな手応えを感じた。

『ウルトラ・ダラー』をめぐっては、出版直後から数奇な出来事が次々に持ちあがった。拉致や密輸の舞台となった新潟、横浜、小樽の書店からは瞬時にして本が消えてしまった。そして極めつけは、ディスインフォーメーションという名の情報戦が『ウルトラ・ダラー』仕掛けられたことだろう。この作品に書かれた「嘘のような真実」は、じつは「事実に見せかけた虚構」にすぎない――こうした情報がまことしやかに諜報世界に流布されたのだ。情報の震源地は、伝説の二重スパイ、ゾルゲもかつて特派員をつとめた「フランクフルター・アルゲマイネ」紙だった。平壌製のドル紙幣は、CIAが自ら偽造した疑いが濃いと報じたのである。北朝鮮が基軸通貨ドルに挑んだ「通貨のテロリズム」は、アメリカの諜報当局による自作自演だったと言いたいらしい。

いかに「インテリジェンス小説」をめぐる出来事とはいえ、本欄の読者はラビリンスに誘いこまれて、虚実のいずれに身を置いているのか戸惑ってしまうだろう。ノンフィクション・ノベルを綴ることは、現実世界に素材を採って、リアルに徹することだと説明される。だがインテリジェンス・ワールドを対象に選べば、「嘘のような真実」が随所に入り込んで、合理的な読み手の裏を次々にかいてくる。『ウルトラ・ダラー』に登場するスパイ学校の壁がピンク色に塗られているのも、日本語教材にユーミンの詞が使われているのも、じつは全てが事実なのである。インテリジェンス小説とは、現実よりよほどリアルな奇に満ち溢れている。それゆえ現実世界の核心を衝くこうした物語の器が必要だったとしか言いようがない。

主人公の英国秘密情報部員スティーブンは、物語の終わりに杳として姿をくらましてしまったが、新潮文庫の出版を機に日本海側の街で姿を見かけたという情報がある。やがて現実世界に舞い戻ってくるかもしれない。おかえりなさい、スティーブン。

「波」(新潮社) 2007年11月号掲載

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