手嶋龍一

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手嶋×阿部 「米大統領選を100倍楽しむ」トークイベント

4.一度はどんなツケを日本は払うか

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阿部  今、日米関係は大きな岐路に立たされています。安倍政権時には、テロ特別措置法の延長問題や沖縄の普天間基地移転問題、従軍慰安婦問題などで、日米の不協和音が目立ちました。米大統領の政権交代は今後の日米関係にどう影響しますか?

手嶋  共和党政権に比べて民主党政権の方が日本に対して辛口であるとか、ヒラリー候補は日本が嫌いだから、クリントン民主党政権が出現すれば、日米関係は暗転するという見立ては、間違いと断じるほどではないにしても、俗論の一種でしょう。そもそも、現在は共和党政権ですが、どこが日本に甘いというのでしょう。いまの日米関係のどこが良好なのでしょう。そんな事実はどこを探しても見当たりません。

日米関係が一般に考えられているより思わしくない事例ならいくらでも挙げることができます。その典型例は、北朝鮮の核問題に対する日米の対応に生じた亀裂でしょう。米国は表向きは北朝鮮に毅然とした姿勢を示しているように装っています。ブッシュ共和党政権は、北朝鮮が核技術をテロ支援国家に売り渡すといった「核の拡散」には一応厳しい対応をとっています。しかし、北朝鮮がいま程度の核を保有することでは事実上容認するに等しい態度をとっています。なぜか。北朝鮮のテポドン・ミサイルは、米国本土には届かず、アメリカの直接の脅威にはなっていないからです。この点で日米同盟を構成する両国の間には重大な差違が生じているのです。

米国が北朝鮮の核保有に危機を感じていれば、北朝鮮をテロ支援国家のリストから外そうとは動かなかったでしょう。実際、昨年の11月中旬、ブッシュ政権は議会に指定解除の通告をし、発表の準備を進めたいと考えていました。この時機に福田総理の訪米を考えていた日本の外交当局が慌ててこうした動きを止めたのが真相です。米国側はしぶしぶ日本側の要求を呑み、そのうち北朝鮮の約束違反が明らかになったため、テロ支援国家のリストから外すことを先送りしたのが実情です。これをみても、共和党政権が日本に甘いなどと言えるでしょうか。

阿部  いま指摘のあった対北朝鮮外交の温度差、普天間基地移転計画の停滞、新テロ特別措置法の延長の遅れ、これらはどれも日米の安全保障に大きな溝が生まれている証左ですね。

手嶋  その通りです。新テロ特別措置法を巡る日本政府部内のドタバタに、ペンタゴンの関係者からは「これでも日本は本当に同盟国なのか」という声も漏れてきたほどです。米国側にすれば、イラク戦争で大わらわの最中に、日本の給油が戦争に使われていないことを証明する資料を3万ページ超も提出させられたことを挙げ、ペンタゴンの機能が停止状態になったという不満が噴出しました。彼らの言い分がすべて正しいわけではありませんが、日本はいったいどうなっているのか、という苦々しい思いがあるのでしょう(注:新テロ対策特別措置法は2008年1月11日に成立。25日に海上自衛隊の補給艦がインド洋に向けて出航した)。

阿部  残念ながら、外交の表面をなぞるだけのテレビや新聞からは、そういったニュアンスを窺い知ることはできませんね。

手嶋  日米関係の基調は悪くなっているのです。本当のインテリジェンスを持っている人なら、今日の日米同盟が悪化の様相を見せていることを認めざるを得ないでしょう。日米同盟は「空洞化」の危機にあるのです。米国のブッシュ共和党政権は誤ったイラクへの力の行使のゆえに、東アジアでのプレゼンスが低下しています。北朝鮮も、米国の懐にもはや「北朝鮮への先制攻撃」という選択肢が残されていないことを知っています。それゆえ、核の放棄に動こうとしないのです。

日米の安全保障を取り巻く状況がこれほど悪いと、共和党とであれ、民主党とであれ、一度仕切り直してから同盟関係を再構築していくほか道はないでしょう。そういう理由から、どちらの党の政権が出現すれば、日本にとって良いなどという議論は、あまり意味をなさなくなっています。

阿部  手嶋さんが指摘したように、日米同盟のパイプはどんどん先細りしています。特に、共和党政権が8年続いたため、民主党への繋がりは手薄になっています。もし、今回の選挙で共和党から民主党に政権の座が移った場合、新政権の中枢にアクセスできる人間が日本政府にどれくらいいるのか。とくに新顔のオバマ候補となると、ツテのありそうな人材は日本にほとんど見あたりません。

手嶋  とりわけ外交面では、アメリカの民主党陣営は、人材供給で共和党に比べて厚みがありません。クリントン政権時代の末期に北朝鮮を訪問したマデレーン・オルブライト元国務長官は、共和党政権では次官補にもなれない二流の人材でした。新政権になって、誰がどんな重要ポストに就くかが予測できない。そんな怖さが民主党政権にはあります。

磯村  今のワシントンを動かしている人の多くは、レーガン政権時代に出てきた人たちばかりです。その後の政権からは、殆ど人材は輩出されておらず、この20年近く、ほとんど人が育ってきていない。これは米国が抱える不安要素の一つです。果たして誰がこれからのアメリカを作っていくのか。日本にとっても大きな関心事です。

手嶋  大統領選挙中の“公約”が、日米の経済関係にはね返ることもありました。古くは佐藤栄作政権のもとで起きた、沖縄返還交渉と日本の繊維産業の自主規制問題ですね。

阿部  「ナワ(沖縄)とイト(繊維)」と言われたニクソン政権との“バーター取引”ですね。先日亡くなった故宮沢喜一氏が通産相だった時、佐藤首相がいわば頭越しに密使若泉敬氏を渡米させ、キッシンジャー補佐官との交渉で、沖縄返還を実現するために国内の繊維産業の輸出自主規制をのんだことがありました。

手嶋  これが1968年の大統領選挙でニクソン陣営が打ち出した「南部戦略」といわれるものです。当時、ニクソン候補は、保守的な南部の民主党票を共和党に取り込むため、繊維産業の票田に狙いを定めて「共和党政権になったら日本政府に繊維製品の輸出を自主規制させる」と約束したのです。ニクソン政権は佐藤政権が政治生命を賭けた沖縄返還を実現させたのですが、その一方で選挙公約の手形を落とすために日本に繊維の自主規制を迫ったのでした。こうした烈しい競り合いは、後に思わぬ結果を招きます。ここでも大統領選挙恐るべしとお分かりいただけましょう。

阿部  最近ではブッシュ再選で、小泉政権は同じような立場に直面しました。

手嶋  ええ、2004年の大統領選挙では、ブッシュ候補が共和、民主伯仲州(スイング州)だったオハイオ州を取り込むため、同じように貿易カードを密かに切っています。当時、BSE(狂牛病)問題で、日本が米国産牛肉の全面禁輸に踏み切り、オハイオ州の肉牛農家は困り果てていました。そこに目をつけたブッシュの選挙参謀長、カール・ローブ氏は、「ブッシュ大統領が小泉首相に頼めば、牛肉輸入をすぐにも再開してくれる」と手形を切り、オハイオ州を共和党が握ることに成功しました。

この州は選挙人を多く抱えるは大州ですから、まさにブッシュ勝利の決め手となりました。ところが、小泉首相は、佐藤首相と違って、ブッシュ政権の要請を容易には引き受けようとせず、ブッシュ大統領は感情を露にして小泉総理に解禁を迫ることとなりました。

阿部  アメリカ大統領選挙のプロセスとは、それほどまでに日本の政策に決定的な影響を与えるものなのですね。いま手嶋さんが触れたローブ氏はすでに辞任していますが、「選挙の天才」と言われただけに、目のつけどころが鋭い。昨年末には「民主党の大統領候補にヒラリーがなれば、共和党にも勝機がある。ヒラリーに反感を抱く人は多く、民主党ではいちばん弱い候補だ」と予言したことが気になります。

手嶋  選挙の神様の予言が果たして当たるかどうか、皆さんには、ぜひ選挙戦の個別の局面を注意深く見守っていただきたい。あらゆるアメリカの政治は、大統領選挙の戦いのなか紡がれていくのですから。

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