手嶋龍一

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ロシアの新たな国家戦略 ベールを脱ぎ始めたプーチン王朝の野望

対談 佐藤優×手嶋龍一

新しいファシズムの胎動

手嶋 ロシア大統領選挙で勝利を収め、この5月に発足するメドベージェフ政権は、果たしてどんな性格の政権になるのでしょう。

佐藤 結論から先に言えば、ファシズムに似た体制ができつつある。ここで言葉を正確に定義しておくと、「ファシズム」と「ナチズム」は明確に異なる。わかりやすく言えば、「ナチズム」は自らの民族の優秀性を唱える“人種神話”から生まれるもので、知的操作で信仰を広めるのは非常に簡単だ。

一方、1920年代のイタリアに登場した「ファシズム」は、資本主義と民族主義の弊害を除去すると同時に、共産主義も否定しながら公平配分の実現を目指すという運動だった。もちろんこの手垢のついた「ファシズム」という刺激的な言葉を使うことはないだろうが、今のロシアは、この方向に進みつつある。

手嶋 面白い見立てです。とは言え、かつてのようなファシズムがそのまま姿を現すわけではありません。国内の自由な市場は容認するのでしょう。問題の核心は、新極端な形で富を蓄積する階層に新政権がどう対処するのかでしょう。ファシズム的な正確を持つ国家が介入して所得の再配分に手を染めると見ているわけですね。

佐藤 その可能性は高い。それは一種の「国家資本主義」だ。

手嶋 プーチン・メドベージェフの2頭体制が作る新しい政治体制が、グローバル化を深化させている市場経済といかなる間合いを取るのか。この点を世界の市場は注視しています。適切な調和を保っていくことができるか疑問です。

佐藤 ロシアは少なくともゲームのルールはクリアにする。儲けた分を後から取り上げるというような乱暴な真似はしない。「法の支配」を掲げる以上、ゲームのルールはちゃんと守る。ただし、ロシアの国益を棄損するような活動は、外国人には認めないだろう。

手嶋 外国資本は、ロシア国内の資本と同等には扱わないということになるのですね。

佐藤 外国の投資は歓迎すると言いながらも、投資に名を借りた内政干渉は許さないだろう。「ロシアはわれわれの国である」「外国人はお客さんである」という原則は貫く。

手嶋 「新政権のゲームのルールに従うなら、おいてきてください」というなら、外国資本には自由な経済活動を認めない訳ですね。

佐藤 逆にロシアが外国に行くときには、外国のゲームのルールの範囲の中で、ロシアの国益増加に資するカードだけを切らせてもらうということになるだろう。

神に選ばれた大統領

手嶋 ゴルバチョフ政権の登場で、社会主義体制が揺らぎだし、エリツィン政権の登場で社会主義体制は音を立てて崩れていきました。それを目の当たりにした西側世界は、新生ロシアもやがて米国が主導する市場経済に組み込まれていくと予測していました。ところが、プーチン政権からメドベージェフ政権に至って、彼らは新しいイデオロギーを模索していることが明らかになってきました。これは、単なる新政権の登場以上に重大な問題を孕んでいます。

佐藤 ただし少なくとも、もう世界で共産主義革命を起こそうなどという発想はない。国内においては市場を重視する。モデルとしては、ニューディール政策のころの米国が重視したケインズモデルを、ややきつくした「国家資本主義」というイメージだ。

手嶋 21世紀初頭の世界では、従来の主権国家は溶けかかっている。ところが、ロシアは、国家主権をむしろ際立たせているように見えます。新政権は2頭体制と言われるが、やはりプーチンという指導者の影響力は侮れません。

佐藤 プーチンという人物を見る際には、彼がこれまで3段階の変化を遂げてきたことに注目する必要がある。まず、エリツィン前大統領から権力を禅譲されたのが第1段階。次に、「権力は国民からもらったのだ」と考え始めたのが第2段階。

それが最終段階に至って、「私は神によって大統領に選ばれたのだ」と考え始めた。旧ソ連共産党体制と戦い続け、ここまでの改革を成し遂げた彼の業績は、確かにある意味では神懸っている。

手嶋 確かにプーチンが金融資本家たちと烈しい戦いを演じたのを見ていますと、神の視座からロシアのために、彼らを神に代わって地獄に放逐するといった気迫が伝わってきます。

佐藤 彼はエリツィンのことを本当に尊敬していたのだが、2月8日にクレムリンで行われた国家評議会における演説「2020年までのロシア発展戦略に関する演説」(戦略演説)の中で、エリツィン路線を完全否定した。

また、この演説のさらに重要な意味合いは、欧米から民主主義を輸入しても自分たちは従属国にしか成り得ないことを指摘し、「改革は自分たちでしかできない」ということを強調した点だ。これは、「われわれはロシアという国を自分たちで立ち直す」という意思を明確に発信したものだ。

新政権が得た「白紙委任状」

手嶋 3月2日の大統領選挙でメドベージェフが約7割を得票して圧勝した直後、赤の広場でロックコンサートが開かれました。そこに新旧の大統領が揃って現れたのは、まったくのハプニングと報じられていますが、どうもあやしい。。

佐藤 そこでメドベージェフは、「プーチン氏は長期間共に働き、互いを信頼し合っているパートナー。一緒に進んでいこう。われわれの力でロシアを作っていこう」という演説をぶった。あれは一種の「動員」だ。今後、新政権はあらゆる局面で、この「動員」を活用するだろう。行動を通じて「われわれはロシア人だ」という意識を強くすることで、「民族主義」とは違う「国家主義」を植え付けることができる。

しかし「国家主義」は、ある意味で「全体主義」。世界的に資本主義が高度に発達している中において、「全体主義」を取ることの弊害をロシアも認識はしている。ただし「共産主義」には戻れない以上、過去の処方箋をひも解けば、あとは「ファシズム」しかないという答えが導かれる。プーチンはエリツィンへの遠慮から、これまでこの発言を控えてきたが、喪が開けたことによって本音を打ち出し始めたのではないか。

手嶋 かつて資本主義に対峙していた社会主義も、いまでは中国に建前のうえで残っているに過ぎないが、その中国も新たな社会システムを唱導することはできずにいます。ところがロシアは今、新しいイデオロギーを定義しようとすらしている。もし一部なりともやり遂げれば、現代史に重大なインパクトを与えることになる。ロシア国家の輪郭が際立ってきていること事実だが、その前途は困難に満ちているはずです。

米国のニューディール政策も、不況を脱却するには、第2次世界大戦という巨額の戦費に頼らなければならなかったのですから。国家が経済に介入するとは、それほどの難事なのです。

佐藤 国家が多少の手を加えたくらいでは、何も変わらないというのは常識。ただし、ニューディール政策は、一種のファシズムだったという分析もある。この意味で今ロシアがしていることは、当時の米国と重なる部分が多い。プーチンは改革を遂行するために、2020年までの12年間の歳月をかけることを想定しているようだ。

イデオロギーはプーチンが作る

手嶋 ロシア大統領選の結果を現地のメディアは、ほぼ全面礼賛で報じている。多数派の大勝利だーと。従来は在野の精神に溢れたメディアも見かけたのですが。

佐藤 有識者の声も同様で、普段はシニカルなコメントをすることで有名な、政治評論家で政治基金所長でもあるヴャチェスラフ・ニコノフ氏でさえ、「今回の勝利の意義は、メドベージェフが内政においても外交においても、いかなる政策をとってもいいという“白紙委任状”を得たことだ。プーチンとメドベージェフの2頭建ての馬車は、安定した形でロシアの近代化を進める基盤を獲得した。今後20年の戦略を立てることができる。今まで残念ながら、このようなことはなかった」と語っている。

これはニコノフのような男ですら全面礼賛するしかないほど、同調圧力が強まっているということでもある。マスコミの政権への迎合度は、かつてないほど強い。

手嶋 すでにプーチンは「メドベージェフ政権ができるならば、現行の憲法体制が眼記する政府と大統領の権限分割に関し、いささかの変更も加えずに、首相に就任する用意がある」と明言している。 本音と受け取るべきでしょうか。

佐藤 ロシアでは、大統領府と政府の役割がはっきりと分かれている。プーチンは言ったことは守る男なので、一部で報道されているように「プーチンが首相として権力を拡大して、大統領が“お飾り”になる」というような可能性はない。中国では政治権力が人につく伝統があるのに対して、ロシアでは政治権力は役職につく。

手嶋 こんどの戦略演説から、プーチンが今後目指すものがいよいよ浮かび上がってきたように思います。核心はイデオロギーです。

佐藤 彼はあくまで首相の権限内で行動することを表明すると同時に、「政府は今後、戦略策定とイデオロギーのセンターとなる」という発言もしている。

新生ロシアは脱イデオロギー国家であるというのが建前なので、今の憲法も、どの法律も“イデオロギー”についてはまったく触れていない。プーチンはここで初めてイデオロギーという言葉を持ち出し、「この策定は自分が担当する」と宣言したのだ。

手嶋 彼は昨年12月の国家院選挙における与党「統一」の圧勝で、自分のカリスマ性を自覚したのでしょう。国民はそのファシズム的な側面も丸ごと飲み込んで支持したと読むべきなのでしょう。

佐藤 ただし、彼は決して“権力の盲者”ではなく、ロシアを心から愛する“愛国者”だ。首相に就任したプーチンは「民族理念」を策定し、強いロシア国家を再建する国民運動を開始するだろう。

ロシアのターゲットは北海道?

手嶋 戦略演説のわずか2日後の2月10日、プーチン側近のクドリン財務相が来日し、額賀財務相にロシアの政府系ファンドが、近く日本企業の株式に投資を始めると伝えて波紋を呼んでいます。

佐藤 彼らが今、特に注目しているのは北海道だ。北海道の中堅を含めたゼネコン、水産会社の株に関心を持っている。私はロシアの或る資本家に、「JR北海道はいつ上場しますか?」と聞かれたことがある。

手嶋 満鉄が持っていた戦略的重要性を思い起こせば、JR北海道への

投資の意図は透けて見えてきます。実はドバイの王族は、一歩先んじて、日高の牧場を次々に買収しています。

地球温暖化のゆえに、北海道は日本中でもっとも価値の高い一帯なのです。北極に北西航路が開ければ、パナマやスエズ運河以来の流通革命が起きます。稚内港や小樽港の重要性は高まっています。

80年代、ハワイの不動産が日本資本の傘下に入ったように、富を蓄積するロシアが、疲弊する北海道経済に照準を合わせてきています。投資対象はいくらでもある。

佐藤 投資金額はそれほど巨額ではなくても、今の北海道経済に与える影響は大きい。ロシアは最近、フィンランド、ポーランド、ウクライナなど近隣諸国への投資に積極的。その一環に、北海道が含まれてきたという印象だ。

手嶋 北海道でも資産価値が高いのは、空港から車で30分以内の土地です。三井系の会社が持っていた千歳空港近くの広大な土地が債権整理のために競売にかかったのですが、その資産価値から言えばほぼタダに近いものでした。是非と頼まれて買ったのは、ディープインパクトを産んだノーザンファームでした。その後、送電線が通ったため、売却代金の三分の一が戻ってきました。ロシアの投資家は、こんな現状をよく知っているのでしょう。北海道は買いと考えています。

ファシズム国家に隣接する意味

佐藤 政府系ファンドが日本株投資を表明したことについて、マスコミの報道は歓迎の論調だが、私は警戒も必要だとがんが得ている。民間の”ハゲタカファンド”なら、目的は金儲けだけなのでむしろ話はわかりやすい。 もちろん政府系ファンドも最初から損をするようなことはしないが、それは日本に対してロシア資本が戦略的に影響力を持つことを意味する。まさにレーニンが『帝国主義論』の中で語ったような、古典的な帝国主義のやり方だ。

手嶋 確かに警戒が必要です。投資アドバイザーの腕利きを雇うなど日本投資に照準を合わせている節がうかがえます。日本のいい人材のリクルートも始めている。

佐藤 今では日本でロシア語の通訳を務める相当数の人々が、ロシア側からおカネをもらっているといわれる。これでは、中立的な立場からの通訳は期待できないだろう。

日本は北隣にファシズム国家が誕生することを、もっと深刻に受け止めなければならない。国家がイデオロギー構築の必要性を公式の場で発言するようになったことの重要性、そのイデオロギーが自由民主主義とは相いれないものであることの意味を、日本の政治エリートや外務官僚は、もっと深刻に受け止める必要がある。

プーチンがこのまま今の考えを推し進めていけば、2014年にはソチオリンピックどころではなくなるかもしれない。

手嶋 その点ではロシアの対外諜報庁(ロシアの対外諜報部門を引き継いだ機関)の動きに注目すべきでしょう。

佐藤 ロシアへの投資の安全保障への影響を調査するために、経済安全保障局という機関を新設する動きもあると聞く。ロシアはときどき奇怪な行動をする。たとえば通信に関しては、政府連邦通信委員会に所属する組織にだけ、光ファイバーの所有を許可したことがある。つまり、誰が回線を引くにもこれを活用することになるため、いざとなれば国家がすべてのデータを収集することができる。

ロシアという国の怖さを、多くの人が実感としてわからなくなっている。ロシア人はそういう感覚も含めて、きちっと指摘する人間しか尊敬しない。大統領が「イデオロギーを構築する」などと言い出したら、すぐに「どういうイデオロギーですか?」と聞かなくてはいけない。

手嶋 日ロ間には戦略協議の枠組みができているのですが、当の外務省もその意義を見過ごしています。互いの国益を追求しながら、戦略的な重要問題に関するロシアの出方を十分見極めるべきです。

佐藤 大きな世界の絵を描けば、時代は帝国主義に変化した。中東政策でつまずき、あの経済力と軍事力をもってしてもイランとイラクを屈服させられなかった米国もその例に漏れない。自らの力に見合った戦略に移行した結果、回帰しつつある先が帝国主義だったのだ。日本も帝国主義国として生き残る道を考えるべきだ。

手嶋 日露の新時代を切り開くべ木なのです。日本、米国、EU、中国、ロシアの5極を見てください。日露ほど関係がか細い関係は他にない。これは、裏返してみると、これほど将来性に満ちた関係はないことを意味します。日露の間合いが近くなれば、日中関係も変わり、日米関係すら動き出すでしょう。

佐藤 こういう時だからこそ、北方領土問題はまじめに取り組まなければいけない。ただしもちろん、無駄に足元を見られないように、慎重に戦略を練りながらの話だが。

手嶋 これまで交渉は幾度も暗礁に乗り上げてきました。が、何百回、挫折しても、挑み続けるべきです。機が熟したときに、電光石火動けるように。東西ドイツが統一に至ったのも、水面下で血の滲むような粘り強い交渉が続いていたからです。

佐藤 今の日本は、あまりにも内向きの方向に政治の関心が傾きすぎている。ロシアとの関係で実務的なことを言えば、優秀な総領事をユジノサハリンスクに送り込むことも必要だ。 今の日本の外交は処方箋を書きようがない。ただし逆説的に言えば、私はこれでも建設的な提案をしてきている。なぜなら私の破壊的な提案は、絶対に採用される心配がないからだ(笑)

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