手嶋龍一

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ニュース解説「イスラム社会と新たな時代を切り拓こう」

米オバマ大統領がエジプトで演説

中東歴訪中のオバマ米大統領は2009年6月4日、エジプトの首都カイロで、イスラム社会と新たな時代を切り拓こうと呼びかける演説を行った。ブッシュ前政権下で急激に悪化した関係を改善し、相互理解に基づく新時代を目指す。軍事力を背景にした「力の外交」から相互信頼に立脚する「対話の外交」へと米国の中東政策の舵を切る重要演説となった。同時にカイロ演説では、国際テロリズムとの戦いには毅然とした姿勢で臨むと述べ、北朝鮮が進める核関連技術の中東への輸出にも影響を与えそうだ。

オバマ大統領カイロ演説は米国とイスラムとの新たな関係の始まりか

オバマ大統領は今年1月20日の大統領就任式で、「我々は、責任あるかたちでイラクをイラク国民に委ね、アフガニスタンでも、困難な道のりだが、平和を築き始めるだろう」と述べた。オバマ大統領は、選挙公約であるイラクからの米軍の撤退を進め、同時にアフガニスタンでは、「テロとの戦い」の戦線には踏みとどまる姿勢を明らかにした。だが、アフガニスタンの戦局は、パキスタン情勢が不安定なこともあって楽観を許さない。

オバマ政権がイラクからの撤退を着実に進めるためにも、中東和平に道筋を付けなければならない。しかし、「ブッシュの戦争」によって生じてしまった米国とイスラム世界の亀裂はあまりに深かった。それを埋めようというのが、今回のカイロでのオバマ大統領の演説であった。オバマ大統領は「今回、私がこの地を訪れたのは、米国と世界のイスラム教徒にとって、新たな関係の始まりを希求するために他ならない」と語りかけた。演説の狙いが、両者の関係を修復する礎を築くことにあったことを示している。

しかし、イラクからの米軍撤退は、中東情勢をさらに混迷に導く危険を孕んでもいる。「米国なきイラク」は中東での力の空白を生じさせるからだ。イスラエル・パレスチナ問題という中東和平に向けた「最大のトゲ」は依然として抜けないままに残っている。

カイロ演説でオバマ大統領は、「パレスチナが、尊厳と機会、そして自らの国家を求める正当な願いに、米国は背を向けない。イスラエルによる入植地の拡大は、これまでの合意を踏みにじり、和平への努力を蝕んでいる。いまこそ入植をやめるべきだ。イスラエルとパレスチナの二つの国家へ依存こそが唯一の解決策だ」と、イスラエルの動きを牽制した。これまでの「親イスラエル」の姿勢に変化をみせたわけだが、これに対するイスラエルの反応は微妙というしかない。

中東和平でのブッシュ前政権のジレンマ

中東和平のカギを握るもうひとつのファクターは、イランやシリアといったアラブ強硬派がひそかに進める核兵器開発だ。ブッシュ前政権は、イランやシリアの核開発になんら有効な手を打つことができなかった。それは、イラク戦争の「負の遺産」でもある。

イラクのサダム・フセイン政権こそ電撃的に攻略したものの、その後イラクの治安を安定させることができず、ブッシュ前政権は苦しみぬいた。イラク国内の反米勢力にイランやシリアなどアラブ強硬派諸国から「テロリスト・武器・戦争資金」が流れ込んできたからである。その供給を完全に断つことはできないまでも、何とか糧道を?制限?したい、とブッシュ前政権は考えていた。それには、宿敵イランやシリアと交渉して事態を打開するしかなかった。そのブッシュ前政権の気持ちを代弁してみせたのが、アラブ強硬派とブッシュ政権の対話を勧めた、いわゆる「ベーカー提案」だった。

とはいえ、イランやシリアが無条件で米国の要請を受け入れるはずはなく、イラクの反米勢力へ「人・物・金」の供給を制限する見返りに求めたのが「核開発の黙認」である。それを認めれば、米国の中東政策の拠り所となってきたアラブ穏健派諸国の反発を招くこととなる。中東地域でイランとシリアが核を持てばそのプレゼンスは圧倒的に大きくなり、穏健派が風下に立つことになってしまうからだ。米国のジレンマはそこにあった。そしてブッシュ時代は身動きが取れないまま幕を閉じた。

こうした情勢が、オバマ大統領の登場によって変わった。カイロ演説でオバマ大統領は「両者が数十年にわたって抱き続けてきた相互不信をすぐに解くのは難しいだろう。だが、勇気と公正さ、そして、強固な意志をもって取り組んでいきたい。なんら条件をつけることなく対話を進めたい」とイランとの対話を呼びかけた。その一方で、「核兵器に関しては重大な局面に達していることは誰が見ても明らかだ」と、核兵器の開発問題では毅然とした姿勢を打ち出している。そして、イランが国際的な核査察を受け入れて原子力の平和利用を進めることは認めるが、核兵器開発は断じて容認しないことを明確にしたのだ。

カイロ演説に潜む北朝鮮の陰

オバマ大統領は4月5日、チェコ共和国の首都・プラハでの演説でも「イランの核や弾道ミサイルをめぐる活動は、米国だけでなく、イランの近隣諸国や我々の同盟国の現実の脅威だ」と述べている。イランが核開発を加速させれば、隠れた核保有国であるイスラエルをも巻き込んで、「アラブの核開発競争」に火をつけてしまうと警告しているのだ。

こうしたオバマ大統領の強硬姿勢の背景には北朝鮮の存在がある。プラハ演説の直前、北朝鮮は「人工衛星打ち上げ」名目に長距離弾道ミサイルの発射実験を行なった。こうした北朝鮮のミサイル技術が、イランやシリアにも輸出されていることは公然の秘密だ。イランの核兵器開発は北朝鮮の核兵器開発と地下水脈を通じて分かちがたく結び合っている。だからこそ、イランの核開発技術に進歩をもたらす北朝鮮のミサイル発射実験をプラハ演説で強く非難したのだ。

さらに今年の5月25日、北朝鮮は2006年10月に続く2回目の地下核実験を強行し、成功させたと発表した。その規模は2006年に比べて数倍ともみられており、明らかな進歩を北朝鮮はみせつけた。今回の北朝鮮の地下核実験で情報の専門家たちが注目したのは、地下核実験を行うために必要な地下道の掘削技術だった。いまや北朝鮮の売り物は、この掘削技術なのだ。イランは地下核実験に踏み切るための技術供与が始まっているとインテリジェンス・コミュニティーはみている。

イランの核兵器保有は米国にとってだけでなく、同盟国であるイスラエルや穏健派諸国にとっても、この上なく大きな脅威となり、中東のパワー・バランスを大きく塗り替えることになる。さらにイランやシリアから核物質や核開発技術が、国際テロ組織に流れれば、事態はさらに深刻となる。そうなれば、次に米国を襲うのは「核による同時多発テロ」となるからだ。だからこそオバマ大統領はカイロ演説で、イランの核兵器開発にはっきりと釘をさしてみせた。

イスラム世界と新たな関係を築こうと呼びかける今回のカイロ演説は、オバマ大統領の重要スピーチとして歴史に刻まれることになろう。だが、はたして、この演説が現実に中東和平の新たなページを開くことになるのだろうか。それは、オバマ大統領が持てるすべての力を振り絞ってイスラエルの保守派を抑えてパレスチナ問題を解決し、同時にイランとシリアの核兵器開発を阻止できるかどうかにかかっている。

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