手嶋龍一

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ニュース解説「米駐日大使にジョン・ルース氏が就任 日米関係はどう変わるか」

米国のオバマ大統領は、次期駐日大使にジョン・ルース氏を指名した。そしてルース氏は23日、米上院外交委員会の公聴会で就任にあたっての所見を発表した。8月8日の議会の休会入り前には正式に就任が承認され、ルース氏は日本に赴任することになる。日本にしてみれば馴染みの薄いルース氏とはどんな人なのか。そしてオバマ大統領はどんな意図をこめてルース氏を起用したのだろうか。

「金でポストを買った」報道は的外れ

ジョン・ルース氏は確かに対日関係にまったくといっていいほど経験がない。にもかわらず次期駐日大使となったのは、オバマ陣営の選挙資金集めにかなりの功績があったからだ、と日本のメディアは伝えている。さすがに「金でポストを買った」とは断じていないが、アメリカ政治に特有の「スポイル・システム」が、ここにも顔を覗かせていると言いたいのだろう。だが、そんなステレオ・タイプな見方は、駐日大使人事を巡って誤報を続けてきた日本のメディアの底の浅さを露呈している。

ルース氏は確かに大変な資産家だ。カリフォルニア州シリコンバレーで約600人の弁護士を抱える弁護士事務所の最高経営責任者(CEO)でもある。名門スタンフォード大学から同大学のロースクールを卒業し、ロサンゼルスの名門弁護士事務所に入っている。だが揺籃期だったシリコンバレーのいまの事務所に移る。当時から安定より可能性に満ちた成長株に賭けてきた人なのである。

もっとも米国の大統領政治にあっては、多額の政治献金をした資産家が有力国の大使ポストに就くのは、ごく普通のことである。駐英大使のケースで説明しよう。大使公邸に飾る絵は自分で持っていくのが通例だ。駐英大使のポストは、かなりの資産家でなければ務まらないのだ。今回も東京だけでなくロンドンやマドリードにも多額の献金をした資産家がアメリカの大使に起用されている。

注目すべきは運動家としてのルース氏

表面は他の大使たちと似ているが、ルース氏は一味違っている。若い時から在野の民主党の運動家として知られていた。ウォルター・モンデール氏が民主党側大統領候補になった1984年の大統領選では、1年間、弁護士活動を休んでまで選挙運動に携わっている。結果は共和党のロナルド・レーガン候補に惨敗してカリフォルニアに戻っている。

2000年の大統領選は稀にみる激戦だった。共和党内ではジョージ・ブッシュとジョン・マケインが、民主党内ではアル・ゴアとビル・ブラッドレーが指名獲得を巡って熾烈な戦いを繰り広げていた。このとき、ルース氏はビル・ブラッドレー陣営に投じたのだった。

ブラッドレー氏はバスケットボールの米国代表として東京オリンピックに参加した経験もあるスポーツマンである。その後、プリンストン大学を卒業し、ローズ奨学生として英国オックスフォード大学に留学している。留学から帰国すると、プロ・バスケットチームの「ニューヨーク・ニックス」の人気選手として活躍した。

華やかなプロ選手でありながら、常に「1ドルにしか見えないシャツ」を着る質素さで「ワンダラー・ビル」と呼ばれて仲間たちからも親しまれた。そして黒人のチームメイトとも巧みに連携してチームを率いて好感をもたれたのだった。そうしたブラッドレー氏を支持したルース氏。彼がどんな政治家を好んだのか頷けよう。信念の旗を掲げて揺るがないステーツマンが好きなのだ。

2000年大統領選でブラッドレー氏を支持していた、もう一人の人物がいた。バラク・フセイン・オバマ氏だった。当時のオバマ氏は、イリノイ州議会の上院議員を務めていたのだが、党内のリベラル派であるブラッドレー氏の当選に賭けていた。

オバマ氏とルース氏が共に2000年大統領選の予備選でブラッドレー陣営に身を置いていたことの意味は小さくない。このとき2人が具体的にどんな動きをしたのかは詳らかでないが、同じ陣営にあった事実は、8年後の大統領選挙に影響を及ぼすことになったといっていい。

ブラッドレー大統領を誕生させる夢はかなわなかったが、ルース氏は将来の大統領を誕生させるきっかけをつかんだのだった。そしてバラク・オバマ氏もブラッドレーの敗戦から貴重な教訓を学んだのではなかったか。ブラッドレー氏は、メディアの前で演技することを嫌い、演説下手でもあった。そして予備選に敗れ去っていった。当時のオバマ氏も決してグレート・コミュニケーターではなかったのだが、この敗戦がオバマ氏を変身させる一つのきっかけとなったのだった。

ルース氏とオバマ大統領の関係

2008年大統領選では、ルース氏はオバマ大統領の誕生に賭け、正式な立候補表明を待たずに、その選挙資金集めに奔走した。2007年2月、ルース氏はサンフランシスコの自宅に自分の人脈を総動員して100人を招いて30万ドルを集め、当時としてはかなりの資金をオバマ陣営にもたらしたのだった。

この30万ドルが、大統領選に向けたオバマ氏の選挙活動のシード・マネー(基になる資金)となった。資金が集まれば、必要なキャンペーンを打つことができ、人材も集まってくる。こうしてオバマの選挙マシーンは次第に加速していった。

そうした役割をルース氏が果たすについては、シリコンバレーで鍛え上げられた「選球眼」が役立っていたにちがいない。海のものとも山のものとも知れないベンチャー企業も、目利きにかかって資金が手当てされれば、あっという間に大企業に変身していく。ルース氏が関わったグーグルがまさしくそうだった。

ハイテクと経営能力、そして資金という経営の3要素の2つまでは満たせても、3つめがないのがベンチャー企業だ。その足りないものをもってきて補うのもルース氏のようなシリコンバレーの弁護士の仕事だ。そうしたルース氏こそ、ベンチャーを成長企業に育てる仲人役だった。

それには将来性のあるベンチャー企業を見抜く「選球眼」が要る。ルース氏は、名うての目利きでもあった。そのルース氏が選んだ大統領候補、それがオバマ氏だった。そしてルース氏は、オバマ・選挙マシーンのエンジンに、資金という燃料を注ぎ込んだのだった。オバマ大統領誕生に少なからぬ役割を果たしたルース氏を駐日大使に選んでなんの不思議もないだろう。

ルース駐日大使の日本への影響

オバマ大統領から強く信頼されているルース氏が駐日大使に就任することは、日本にとって大きな意味がある。前駐日大使のジョン・トーマス・シーファー氏は、大統領のベッドルームに直接電話できるほどの力をもっていた。ルース氏もオバマ大統領と、そういう関係を築いているはずだ。

だからといって、ルース大使を通じて日本の立場をオバマ政権に影響力をふるえるなどと思ってはならない。あくまで決まったことを相手国に伝えるのが大使の役割であり、意思決定にかかわることではない。

中国が急速にそのプレゼンスを高めているなかにあって、米国が台頭する中国とどう対しているか、世界が息をひそめて見守っている。だからこそ、同盟国、日本の存在もまた重要だ。米・日・中のトライアングルが歪んでしまっては、米国の対中政策もまた歪んでしまうからだ。

そうした東アジアの戦略状況のなかで、日本がどのような姿勢をとるかをワシントンは注視している。とりわけ総選挙を経て誕生する可能性がある民主党政権が、どんな政策を打ち出してくるかに重大な関心を示している。ワシントンの触角を務めるのがルース新駐日大使だ。優れた選球眼をもつルース氏だ。日本がいつまでも受け身の姿勢に終始すれば、ルース氏に愛想をつかされてしまう。シリコンバレーで鍛え上げられた選球眼をもつルース氏に「買ってもらえる」日本になれるかどうか。今後の日米関係を占ううえで見逃せない。

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