手嶋龍一

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ウォーターゲート「ディープ・スロート」はなぜ協力したか

 1974年、米国のニクソン大統領がウォーターゲート事件の責任をとって辞任することを表明した。この事件の発端は1972年。最初は些細な不法侵入事件だったが、地道な取材で「ワシントン・ポスト」紙が共和党のニクソン大統領が民主党への選挙妨害などの糸を引いていたことを明らかにし、ついに現職大統領を辞任に追い込んだ。2005年、この放送の最重要の取材源「ディープ・スロート」の正体が明らかになった。なぜ、彼は情報を漏らしたのか?80年代後半からNHKのワシントン特派員となって以来、ホワイトハウスの内幕に迫ってきた手嶋龍一氏が推理する。

 「ワシントン・ポスト」紙は、極秘の情報源「ディープ・スロート」のリークに頼りながら、ニクソン大統領を辞任に追い込んでいった―。かくして、ウォーターゲート事件は、新聞メディアが到達した調査報道の最高峰として現代史に刻まれることになった、と説明される。
 だが、どこかが違っている―。1980年代の後半、特派員としてワシントンに赴任した私は、この事件の奥深くで揺れる翳に惹きつけられてきた。多くの回想録が公刊され、公文書も機密扱いを解かれたが、事件の闇はかえって深まっていったように思われる。
 「調査報道」とは、メディアが当局の捜査情報に頼らず、自ら事実を掘り起こして事件の核心に迫っていく手法をいう。だが「ワシントン・ポスト」紙は、「ディープ・スロート」が握る捜査情報なくして、ウォーターゲート事件の真相を解明することはできなかった。捜査権をもたないメディアは、「ディープ・スロート」のリークを楯に、かろうじてホワイトハウスの犯罪と対峙できたからだ。だが、捜査当局の極秘情報に依拠すればするほど、独自の「調査報道」は後退せざるをえなかった。
 ニクソン大統領は、劇的な対中接近を図って冷戦の構図を塗り替え、再選をほぼ手中にしていた。にもかかわらず、ニクソン政権の高官は、CIAの元工作員たちを民主党本部があったウォーターゲート・ビルに忍び込ませ、盗聴装置を仕掛けさせた。彼らが逮捕されたのは1972年6月だった。
「コソ泥の事件にホワイトハウスがあれこれコメントする立場にない」
 ニクソン政権は事件との関わりを否定したのだが、犯人の電話帳には大統領補佐官の名前が記されていた。ポスト紙のボブ・ウッドワード記者らは、大統領の周辺が事件に関与していた事実を次々に記事にしていった。だがニクソン側近が事件に関わっている事実は容易に浮かび上がってこなかった。
 「地下駐車場でこっそりと会い、匿名にこだわり、しばしば具体的な情報を与えるのを拒み、同僚や友人や家族に嘘をつき、正体を明かさない」
 ウッドワードは、悲鳴に近い筆致で「ディープ・スロート」に翻弄された日々を振り返っている。ホワイトハウスを包囲し、大統領を辞任に追い込む―そんな思いなど抱いたことさえなかったという。「ニクソン大領の弾劾」の可能性が浮上したとき、誰よりも驚愕したのは当の記者たちだった。
 ポストの編集幹部は当初、記者たちの取材に信を置かず、事件の先行きにも自信が持てなかった。そんな弱気は紙面にも表れていた。だが、ポストに日和られて困るのは「ディープ・スロート」の側だった。烈風に吹かれて消えかかるメディアの灯火。すると極秘の捜査情報がそっと注がれる。やがて炎は勢いを取り戻していく。「ワシントン・ポスト」紙と「ディープ・スロート」は互いに寄り添うことでかろうじて持ちこたえていたのである。
 「ディープ・スロート」の正体は、三十三年の歳月を経てようやく明らかになる。2005年5月、「ヴァニティ・フェア」誌が、「ディープ・スロート」は事件当時、FBI副長官だったマーク・フェルトだと報じ、ポスト紙もその事実を認めている。
 事件当時、ニクソン大統領は、フェルトが情報を漏らしていることに気づき、隙あらば抹殺してやろうと狙っていた。情報を流している証拠を掴まれれば訴追されてしまう。にもかかわらず、フェルトはなぜ、捜査の機密をリークしたのだろう。FBI長官の座を狙って果たせなかった腹いせなのか、捜査を妨害するニクソン政権への怒りだったのか―。だが正体を現したフェルトはすでに記憶を喪い、真実を語ることが叶わなくなっていた。顧問弁護士が替わって筆を執り、情報源だった事実を明かしただけだった。
 ウッドワード記者は、かつて海軍士官としてホワイトハウスへの連絡要員を務め、ほんの偶然からFBIの高官だったフェルトと知り合った。ウッドワードはその後も彼と接触を絶やさず、事件が起きるとポストの命に等しい情報源となった。厳格すぎる条件をつけながらも、フェルトは事件の核心を小出しに明らかにしたのだった。これでは重大な意図を秘めて捜査の機密を漏らしたとは到底断定できまい。ウッドワード自身がこう自問している。
 「なぜあなたはディープ・スロートなのか?動機はなんだったのか?あなたは何者なのか?」
 ニクソンは、パラノイア的な電話盗聴癖によって、皮肉にも自らがホワイトハウスを追われてしまう。そして米中の接近劇を含めた膨大な機密テープを後世に遺すことになった。
 「中国をわれわれに存分に引きつけておくため、日本の軍国主義の脅威を思うさま煽ってやれ」
 中国への接近を試みるにあたって、ニクソンがキッシンジャー補佐官にこうけしかける様子がテープに刻まれている。機密のテープに刻まれたニクソンの肉声を繰り返し聞いているうち、私はフェルトの心のひだをわずかに垣間見た気がした。
 FBIの副長官は、深夜ひとりニクソンが盗聴テープに耳を澄ましている事実を知っていたはずだ。それゆえ、暗い意匠に彩られた大統領府への恐怖にはすさまじいものがあったはずだ。その一方で、不正な手段に手を染める合衆国大統領への憎悪は抑えがたいばかりに募っていたのだろう。フェルトは監視の目を逃れて、地下の駐車場で旧知の記者と密かに会い、わずかばかり情報をそっと明かす。他に決定的な情報源を欠くポストは、フェルトに寄り添って、大統領権力とかろうじて対峙していた。かくも脆弱で信頼の基盤なき両者の連携が、皮肉にも事件の堅い岩盤を朽ち砕いていったのだろう。ビルへの侵入からはや三十八年がたとうとしているが、事件はなお深い闇に包まれた歴史の遠景に飛び去ろうとしている。

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