手嶋龍一

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「アメリカ・ファースト」の恐ろしさ

「中国より日本と組んだほうがいい」と悟らせ、日米はゼロから再出発を

 外交ジャーナリスト・作家の手嶋龍一氏が11月14日、コメンテーターとして出演しているBS朝日の国際報道番組「いま世界は」の放送300回を記念し、東京都港区の六本木アカデミーヒルズで「トランプ大統領誕生、日本への影響」をテーマに講演した。手嶋氏は、トランプ氏が唱える「America First(米国第一)」の思想は、超大国としての責務を放棄するもので、同盟国・日本の安全保障環境にも影響を与えかねないと懸念を示している。(構成・GLOBE記者 倉重奈苗)

 政治経験が全くない、究極のアウトサイダー候補だったトランプ氏が次の大統領に選出された。トランプ氏には女性問題や過激な発言が指摘されているが、彼の最大の問題点はやはり「アメリカ・ファースト」の思想に尽きる。米国の国益をむき出しで優先するという考え方だ。米国に潜む孤立主義をよみがえらせかねない。湾岸戦争時のように、米国は国連軍に代わって有事に介入してくれる、という国際社会の暗黙の前提が崩れてしまう。

 アメリカ・ファーストという思想は、大西洋無着陸横断飛行したチャールズ・リンドバーグが唱え、戦前の米国の外交政策を拘束してきた。第2次世界大戦が幕を開け、米国は血を分けた同盟国・英国に武器援助はしたものの、参戦しようとしなかった。真珠湾で自国が攻撃を受け、参戦に踏み切った。アメリカ・ファーストという遺伝子は戦後、伏流していたが、トランプ氏の大統領誕生で復活したといえる。トランプ氏は一連の選挙キャンペーンで「『イスラム国(IS)』掃討で大規模な地上軍派遣は一切しない」と発言している。トランプ流アメリカ・ファーストは、超大国・米国が西側諸国のリーダー、世界のリーダーであることをやめると宣言しているに等しい。こうした潮流が世界にどれほどのインパクトを与えるか計り知れない。

 1990年代はじめの湾岸戦争で、米国は同盟関係にないクウェートの主権を奪回するため、国連決議を取り付け、米中心で多国籍軍を編成し、米国の若者が前線に赴いていった。もしトランプ大統領であったなら、前線に兵を送らなかっただろう。

 ビジネスマンなので方針を簡単に変えるとの見方がある。確かに公約のいくつかはそうするだろう。また、そうすべきだと思う。だが、外交・安全保障の分野は違う。外交方針を変えるかどうかが問題なのではない。共和党候補の、そして次期大統領のトランプ氏が「かく語りき」という事実自体が、東アジアに巨大な戦略上の空白を作ってしまっている。これが問題の核心なのである。

 北朝鮮や中国の視点からすれば、これまでの同盟関係を見直し、果実がなければ廃棄してしまえ、とする発言そのものが外交のリアリティーである。これがアメリカ・ファーストの恐ろしさに他ならない。

 選挙結果をみても、米国が真っ二つに引き裂かれた。クリントン氏のメール事件が再燃したため、情勢がクリントン陣営に不利になったのではない。50の州のうち、10前後の激戦州がにわかに14、5州に拡大していった。結果的にはいずれの激戦州もトランプ氏が制覇してしまった。今回の選挙では、ウィスコンシン州こそ隠れた主戦場だった。クリントン氏がとってしかるべきところを終盤戦でトランプ氏が遊説に出かけ、攻め込まれた。これは選挙戦術としては非常に優れた戦術だった。本来相手候補が抑えているところに差し込みにいく。相手陣営は防戦に出ざるを得ない。民主党の最も地盤の固い一角がガラガラと崩れていった。クリントン陣営も途中で気づいたが、すでに間に合わなかった。トランプ陣営は終盤、かなりの手応えをつかんでいたと思う。

 トランプ氏はプロレスの興行を自ら手がけていた。その経験を通じて、中西部に広がっている、プロレスで日頃の憂さを晴らす人たちの心情を誰よりもよく知っていたのだろう。白人労働者層の不満のマグマが勝利の原動力になったのである。クリントン氏は彼らの不満のマグマを本当には理解していなかったのだ。

 富裕層への減税を唱える一方、国際協調主義の対局である同盟見直しにも言及している。環太平洋経済連携協定(TPP)も含め、公約はいくつかは実行するだろう。だが一方で、この人らしく、従来の方針を大胆に転換していいとも言っている。

 勝利後のオバマ大統領との会談も、当初15分の予定が、1時間半に及んだ。関係者によると、オバマ氏は会談の大半を自分のレガシーである医療保険制度改革(オバマケア)の協力を求め、その代わりに滑らかな政権移行に協力してもいいということを言ったようだ。オバマケアによってラストベルト(さびついた工業地帯)の人たちが救われていると説得に努めたという。

 11月17日に米ニューヨークで安倍晋三首相とトランプ氏の会談があるが、首相がどの点に絞っていかに説得するかが注目される。

 安全保障分野でも、日米同盟がすぐに撤廃されることなどあり得ない。だが、近くホワイトハウスに入る指導者が日米同盟の見直しに公に触れた事実が重要なのである。外交分野ではこうした発言はリアリティーとなって国際政局にインパクトを与えてしまう。トランプ氏は「日本や韓国は自前で国を守れ、そのためなら核武装してもいい」とメディアのインタビューで発言した。

 米国の民主党、共和党問わず、米国の外交安全保障での本音をたった一つ言えと求められれば、東アジアの地では日本に、欧州ではドイツに、核のボタンは委ねない、ということに尽きるだろう。もし核のボタンを委ねてしまえば、超大国・米国は超大国たる地位を降りてしまうことを意味する。冷戦期から続いてきた西側同盟の「盟主」の地位を自らやめてしまう。そのインパクトは全世界に及ぶだろう。

 なぜ今回、米5大テレビ・メディア、ニューヨーク・タイムズなど有力紙が「トランプ当確」を打たなかったのか。AP通信もクリントン氏が敗北を認めてトランプ氏に電話した、という情報を得て当確を報じたという指摘がある。迅速に打てたはずの当確を打てなかった米メディア。トランプ当選の事実を認めたくない。その気持ちは分かるが、現実を認めて速報することができなかったメディアの内実は徹底して検証すべきだろう。

以下、会場での質疑応答

――米朝首脳会談の見通しは。

 金正恩(キムジョンウン)委員長の立場に立てば、「してやったり」の心境だろう。韓国の朴槿恵・大統領も今は20代での支持率がゼロになった。北朝鮮の最大の懸念は体制維持。支持率ゼロの政権に吸収合併されることはない。北朝鮮の最大の懸念は、米軍が外科手術的な空爆に踏み切ることにある。米側はすでに北朝鮮の長距離核ミサイルの射程に入っており、自衛の攻撃はありえないことではない。核施設の拠点はすべて把握している。オバマ政権が伝家の宝刀を抜いて外科手術的な空爆を敢行する選択肢は原理的に残されている。

 だが、オバマ政権にその意思なしとみて、核開発にひた走ってきた。そうした中で、次期大統領が同盟の見直しに言及し、北東アジアの抑止の要・日米同盟に巨大な戦略上の空白が生じ始めている事実を正恩氏は見抜いている。北朝鮮にとっては、韓国の政権の弱体化とトランプ発言は、体制護持のための心強い裏書なのである。こうした情勢を背景に、米朝首脳会談を持ちかける可能性がある。いま北朝鮮にとっては、有利な戦略状況が生まれており、将軍様が冷静であれば、しばらくは手荒な挙には出ないだろう。

――北方領土交渉はどうなるか。

 米ロ関係は最悪な状況にあると思う。今年5月に安倍首相がロシアの保養地ソチでプーチン大統領と会談するに先立ち、ホワイトハウスに電話し訪ロを伝えた。それはかなりとげとげしいやりとりだった。最後はオバマ氏が荒々しく電話を切ったという。安倍首相は12月15日の山口県での日ロ首脳会談に勝負をかけている。谷内正太郎・国家安全保障局長が今月モスクワを訪問し、ロシアのパトルシェフ安全保障会議書記と会談した。日本側では領土返還に期待値が上がりすぎているように思う。歯舞群島、色丹島は少なくとも返還されるだろうと思いがちだ。だが、当の安倍首相はそんな楽観はしてはいないはずだ。対ロ交渉に確かな感触を現時点で安倍内閣が得ているのか。現状ではかなりの疑問符がつく。

 米国が日ロのディールを裏書して支援するかどうか。仮に交渉が劇的な進展を見せて、その可能性はないが、北方四島が全部返ってくると考えてみよう。国後、択捉は大変よい軍事基地になるだろう。北方領土が、日本の施政権に入れば、安全保障条約が適用されるだろう。それではプーチン大統領は絶対に引き渡すとは言わない。日本はモスクワと交渉すると同時に、ワシントンとも複雑な交渉を強いられている。プーチン氏とトランプ氏はウマが合う。その点を突いて、ニューヨーク会談で安倍首相がトランプ氏に日ロの取引には、鷹揚(おうよう)に構えてくれと持ちかけて、前向きな対応を引き出せるかが隠れた焦点になるはずだ。

 トランプ大統領の誕生を機に、従来の日米関係はゼロベースで再出発することになる。日本側も一切の前提条件なしに新たな東アジア戦略を構想してみる好機だと思う。日本は従来の受け身の日米同盟への対応を変えていくべきだろう。日本が新たな形での日米同盟を構築していく姿勢を示せば、トランプ新政権も無視できなくなる。冷静に考えれば、中国と組むよりも日本と組んだ方がいいと悟らせる。ここが肝なのである。新たな日米同盟を構築するチャンスと受け止めるべきだろう。

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