手嶋龍一

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トランプ大統領誕生 惰性に流された日米関係を改める好機

 トランプ大統領の誕生で、日本の外交や経済、日米安保はどんな影響を受けるのか。日本政府はどう対応すべきなのか。外交分野について、外交ジャーナリストの手嶋龍一さんに話を聞いた。

手嶋龍一さん(外交ジャーナリスト)
1949年生まれ。慶応大学卒業後、74年にNHK入局。ボン支局長、ワシントン支局長などを歴任し、2005年に独立。06年に著した『ウルトラ・ダラー』が33万部のベストセラーに。立命館大学客員教授なども兼務

 トランプ氏の数々の過激な発言は「選挙向け」で、現実の政策にはならない──そんな楽観論が聞こえてきますが、少なくとも外交、安全保障分野では、そんな捉え方は間違っています。8年ぶりにホワイトハウスの奪還を目指す共和党の大統領候補として、トランプ氏がものを言った時点で、それは「リアリティー」となってしまう、ここが肝なのです。

 日米同盟の破棄まで示唆するトランプ発言は、北朝鮮、中国にとっては“抑止力の衰退”と映ります。日米同盟を基盤に在日米軍が駐留している現実が、東アジアの紛争を未然に防ぎ、北朝鮮や中国に対する抑止力として機能しています。とりわけ、南シナ海などへの海洋進出を図る新興の軍事大国、中国にとっては、原子力空母の艦船修理能力を持つ横須賀に米海軍が基地を持っていることは大きな脅威なのです。

 トランプ氏の一連の発言は、対中抑止力を弱め、東アジアに一種の「戦略的な空白」をすでにつくり出してしまった。外交や安全保障は高度に抽象的な側面があり、そこがトランプ・ビジネスとは違うのです。日米同盟の破棄に含みを持たせる発言それ自体が、すでに懸念すべき結果を招き始めていると心得るべきです。「日本やサウジアラビアの核保有を容認する」。このトランプ発言もまたタブーを解き放ってしまいます。サウジはすでにパキスタンと有事の核移転を密約しており、これを受けてイスラエルは核を公然化するでしょう。トランプ発言恐るべし、です。

●すべてゼロベース交渉

「中国がアメリカの雇用を奪っている」「中国製品の関税を引き上げる」との発言もありましたが、これは白人労働者向けの選挙アピールでもあり、安全保障の発言とは分けて考える必要があります。だが根底にあるのは「アメリカファースト主義」です。アメリカの国益のためなら、海外から基地を引き揚げるし、国境に障壁を設けて国内の雇用を守る。それによって、かつてのような「偉大なアメリカ」を取り戻すというわけです。

 トランプ氏に「あなたの知識は間違っている」と説教しても意味はありません。なぜなら、「反知性主義」こそ、庶民にとってトランプ氏の魅力だからです。反知性主義とは、「知性がない」のではない。物事を決断するには精緻な情報や知識など要らない。自分こそ誤りなき決断をしてみせる、というものなのです。世界の複雑さや多面性など知りたくもないのです。従って、トランプ氏に「日米安保はタダ乗りではない」などと説明しても無駄でしょう。その半面、すべてゼロベースで交渉できるため、従来の惰性に流れた日米関係を刷新する好機です。11月17日にトランプ氏との会談に臨む安倍首相は、まれなチャンスを得たと思います。

 唯一、局面が変わる可能性を秘めているのは北方領土問題です。オバマ政権時代、米ロ関係は冷戦後もっとも冷え込んでいました。楽観できませんが、ロシアが2島の引き渡しに合意したなら、歯舞、色丹の両島は日本の施政権下に入ります。そうなれば、当然、日米安保が適用され、現実には難しいものの、択捉島まで返還されれば、そこは最良の海軍基地になります。そんな前提ではプーチン大統領は決して合意に応じないでしょう。つまり、北方領土交渉の隠れたテーマは「日米安保の適用除外」なのです。オバマ政権は安保の適用除外に一貫してあらがってきました。ここが日ロ合意の難所でした。

●2島返還へ広がる活路

 トランプ次期大統領はプーチン大統領に親近感を抱いており、安倍政権はトランプ氏の交渉への協力を取り付ける可能性が出てきました。トランプ政権が船出して、従来の外交姿勢も大胆な見直しが行われれば、2島返還に向けた活路が開かれるかもしれません。理論上は、日米同盟が破棄されれば、ロシア側は4島返還に前向きな姿勢に転じる可能性もゼロではない。しかし、そんなリスクを冒して領土返還を望む日本国民はいないでしょう。

 反知性主義のトランプ氏に、「これまでは──」などと説得しても意味がありません。ゼロベースから新たな展開を切り開く。そうした決意で、日本外交は迅速に転換を図り、新たな戦略をアメリカに打ち出す好機でもあるはずです。

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