手嶋龍一

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2019天皇賞(秋)回顧
 「アーモンドアイに心からの賛辞を、そして待ちたい再対決の時」

 東京競馬場を埋め尽くした十万人の歓声が地鳴りのように響き渡るなか、第4コーナーめがけて各馬が迫ってくる。サートゥルナーリアとダノンプレミアムは、先行するアエロリットを射程に収めながら後を追い、残り400メートルの標識を通り過ぎていった。ホームストレッチに差しかかると、アエロリット、ダノンプレミアム、サートゥルナーリアの三頭が、一瞬、横一列に並んだように見えた。そのすぐに後ろにアーモンドアイが控えている。ゴール板まであと270メートル。

 我らがサートゥルナーリアなら、ここからぐんと加速して突き抜けてくれるはず――。思わず「競馬エイト」を握りしめ、力いっぱい机をたたいて「よしいけっ、サートゥル」と絶叫した。トゥザワールドが弥生賞を勝ったレースにニッポン放送のゲストとして出演していた時も思わず机をたたいて声援を送ってしまい、隣の放送ブースから「実況に差し障る」と叱られたことがあった。

 新らたに令和の幕があがって初の天皇賞・秋。東京競馬場に出走した16頭のうち、なんと10頭がGIのタイトル・ホルダー。「御即位慶祝」と銘打たれた記念レースにふさわしい豪華な顔ぶれだった。なかでも「世界最速のスーパー牝馬」と評判の高い四歳馬アーモンドアイと無敗のまま皐月賞を制した三歳馬サートゥルナーリアが初めて対決する夢のレースに、満員のスタンドは常ならぬ熱気に包まれた。

 両馬はともに期待の種牡馬ロードカナロアを父に持ち、この八月に惜しまれながら逝った名種牡馬キングカメハメハを祖父に持つ。そして牝系はこれまた七月に天に召された稀代の種牡馬ディープインパクトの父であるサンデーサイレンスの血を引く超良血同志である。近年G1重賞レースを席巻し続けるノーザンファームが送りだした生産馬のなかでも、四歳世代と三歳世代の代表格の対戦が実現したのだった。

 サートゥルナーリアを擁する我らキャロット陣営にとっては、秋のG1路線をどの騎手に託すのか、最後まで悩みぬいた。アーモンドアイもサートゥルナーリアも名手クリストフ・ルメール騎手を鞍上に戴いてクラシック・レースのタイトルを手にしてきた。それだけにキャロット、シルクレーシングいずれの陣営も、ジョッキーの側と様々なやり取りを重ねてきた。その結果、アーモンドアイはルメール騎手に、サートゥルナーリアはスミヨン騎手に手綱を委ねることでようやく決着した。

 一方で、サートゥルナーリアが距離3000メートルのクラッシック三冠目、菊花賞を選ばず、2000メートルの天皇賞・秋に駒を進めることに迷いはなかった。2400メートルの神戸新聞杯を快勝したことで長距離への不安は払拭されていたが、ディープ、キンカメの後継種牡馬を目指すなら、二千メートルの天皇賞・秋の栄冠をと考えたからだ。

 当日のパドックでは、馬番号⑩とプレートが置かれた場所にスミヨン騎手、角居調教師、キャロット陣営が集まり、レースに臨む最後の確認を行った。多くを語りあったわけではない。まずスタートを決めてすんなりと先行集団につけて最初のコーナーを二、三番手で 回り、勝負どころに備えてほしい――スミヨン騎手は小さく頷いて表情を変えない。

 一斉にゲートが開き、サートゥルナーリアはわずかに出遅れた。両脇の馬に前を塞がれてしまう。だが、スミヨン騎手は巧みな手綱さばきですっと先頭集団にとりつき、アエロリット、スティッフェリオに続く三番手にぴたりと付けてくれた。すぐ後ろの絶好の位置にアーモンドアイがじっと控えている。

 サートゥルナーリアは、パドックでは比較的落ち着いていたのだが、地下馬道を抜けてコースに姿を見せた頃から力み始め、スミヨン騎手によれば、芝の色目が変わっただけで驚いてしまうほどだったという。かなりいれこみ、内なる力を擦り減らしていったのだろう。ゴールまで百メートル付近では外に膨れて勢いを殺がれていった。一方のアーモンドアイは、先頭集団の動きを冷静に見極めながら、僅かな隙を見つけて内ラチを巧みに抜け、あっという間に先頭に躍り出ていった。

 稀代の牝馬アーモンドアイは何という勁さなのだろう。その敏捷さ、息を呑むようなスピード、加速の凄まじさ、そのどれをとっても当代超一流の名馬と断じていい。「無事是名馬」というが、優れた素質を秘めたサラブレッドほど万全の状態でレースに送り出すのは難しい。アーモンドアイも一つ一つのレースに競走能力の全てを注ぎこみ、燃え尽きるように疾走する。それゆえ、レースを終えた彼女の疲労は激しい。レース後に大観衆の前に姿を見せなかったのもそれゆえだろう。そんな彼女をよく仕上げて勝利に導いたアーモンドアイ陣営に心からの賛辞を送りたいと思う。彼女が有馬記念に駒を進めるなら、サートゥルナーリア陣営も再び対決できる機会を心待ちにしている。

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