手嶋龍一

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「中国ウイルス」と書き換えたトランプ

 昨年末に中国で猛威を振るい始めた新型コロナウイルスは今や世界中に広がり、累計感染者数が最も多い国はアメリカとなった。

 そうしたなか、新型コロナをめぐる米中の〝舌戦〟と〝情報戦〟が激しさを増している。その背景にはいったい何があるのか? NHKワシントン支局長を長く勤めた外交ジャーナリストの手嶋龍一氏はこう語る。

「トランプ米大統領の情報発信はツイッター、記者会見、スピーチとさまざまですが、ツイッターの多くはアドリブで、思い込みや間違いも多く要注意です。一方、公式な大統領スピーチは、政府内の情報を補佐官が精査して草稿が用意されるため比較的正確です。新型コロナウイルスについては、CDC(米疾病予防管理センター)や保健当局に加えてCIA(米中央情報局)などのインテリジェンス機関からの情報もあり、大統領の判断に影響を与えています」

 手嶋氏は、なかでも3月18日の大統領スピーチに注目すべきだという。

 「スピーチの際、プロンプターに映し出される草稿をカメラマンが撮影していたのですが、トランプ大統領は草稿にあった『コロナウイルス』という文言をサインペンで自ら『チャイナウイルス』と書き換えていました。トランプ大統領は、これが中国発の感染症であり、初期に中国側が情報を隠蔽したことが惨事を広げたと確信していることがうかがえます。G7外相会議ではポンペオ国務長官も『武漢ウイルス』という呼称を断じて譲ろうとしませんでした。

 つまりトランプ政権は、ウイルスをかくも世界に蔓延させた責任は中国が負うべきだと考え、国際政局の舞台で〝情報戦〟を繰り広げているのです。こうしたなか、各国の情報専門家が注目するのが、細菌・ウイルス研究の第一人者、米コロラド州立大学名誉教授の杜祖健(英語名アンソニー・トゥー)博士です」

 台湾出身の杜博士は1930年生まれ。1984年から2007年まで米国防総省の細菌・ウイルスチームのトップアドバイザーを務め、オウム・サリン事件でもサリンの検出・分析に協力し、日本政府から旭日中綬章を受章している。2017年にマレーシアで起きた金正男氏暗殺事件に際しては、実行犯のVXガス生成方法を最初に見破ったことでも高い評価を受けた。

 その杜博士は、「個人的な見解」かつ「状況証拠からの推論」と慎重に前置きした上で、新型コロナウイルスは、中国・武漢の「P4研究室(武漢国家生物安全実験室)」の関連施設から研究段階のものが不手際で外部に漏れたと考えるのが自然だと複数のメディアのインタビューで語っている。

 また、中国政府が発表した感染者数、死者数のデータについても疑念が出されている。米下院外交委員会のマイケル・マコウル筆頭理事は「中国は世界を欺き、真実を伝えようとした医師や記者を黙らせたばかりか、今は感染者の正確な数を隠している」との声明を発表し、トランプ大統領も「(数字は)やや少ないようだ」とコメントしている。

「こうした批判を気にする中国政府は、多くの死者を出して苦しむ欧州各国に医療チームや救援物資を送り、イメージを挽回しようと躍起になっています」(手嶋氏)

 およそ百年前、全世界で6千万人が病死したとされる「スペイン風邪」は、実際は米カンザス州の陸軍基地で発生したものだった。感染したアメリカの若者が兵士として第一次世界大戦の欧州戦線に赴き、一気にパンデミックになったという。

「本当はアメリカ発の感染症だったのですが、スペインは第一次大戦の中立国だったためメディアの統制をしておらず、いつの間にか『スペイン風邪』と呼ばれるようになってしまった。いまだにスペインは〝史上最悪のパンデミックの発生源〟という汚名を着せられたままです。

 秋に大統領選挙を控えるトランプ大統領は、ウイルスを撃退し、経済を再生させて指導力を示す必要に迫られています。今のアメリカは民主党支持者の間でも〝反中国〟の空気が根強いため、トランプ陣営としては、中国犯人説を強調することで再選を勝ち取りたい。ウイルスを巡る米中舌戦は、そんな国際政治の素顔を映しています」(手嶋氏)

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