手嶋龍一

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スギハラ・ダラー

話の肖像画 インテリジェンス・ナウ<上>「命のビザ 戦後の一潮流に」

産経新聞 2010年2月16日掲載

外交・安全保障の観点から情報の収集、分析を行う「インテリジェンス」。諸外国では早くから注目されていたが、日本はやっと土俵に上がったレベルだ。NHK記者として、その熾烈(しれつ)な現場に身を置いてきた手嶋龍一氏(60)が、ベストセラー小説の続編『スギハラ・ダラー』(新潮社)を今月末、刊行する。「インテリジェンス小説」の第一人者に、新作に込めた現代日本へのエールと警句を聞いた。(三品貴志)

〈ブラックマンデー、9・11(米中枢同時テロ)、リーマンショック…世界を震撼(しんかん)させた大恐慌・大事件を追う主人公たちは、第二次大戦時、ナチス・ドイツから6千人のユダヤ人を救った日本人外交官、杉原千畝(ちうね)の「命のビザ」の影にたどり着く-〉

--まさかの復活を遂げた主人公・スティーブンは、英BBCの記者でイギリス情報部のエージェント。思い入れは

手嶋 おかげさまで、スティーブンはとても人気のある主人公でした。もちろん、明確なモデルがいるわけではありませんが、私が直接顔を見たことのある何人かの英国人インテリジェンス・オフィサーは、いずれも魅力的な人でした。濃淡はありますが、主人公には彼らが投影されていると思います。

--どこか手嶋さんと重なる部分も?

手嶋 私は彼ほど、美しい女性にはもてません(笑)。ただ、やりとりをしているうち、あまりの魅力に引き込まれて「この人になら真実を明かしたい」と人に話させる力やオーラが重視されるのは、メディアとインテリジェンスの世界も似ているところはあるでしょうね。

--杉原千畝が発行したビザで救われた「スギハラ・サバイバル」が、今作の重要な鍵を握っている

手嶋 1987年のブラック・マンデーの際、世界の資本主義の心臓であるニューヨーク株式市場は心肺停止に陥りました。その中で、いかなる豪胆か、シカゴのマーカンタイル取引所だけは市場を開け続けた。私は当時、ワシントンにいましたが、理由が分からなかった。後に取引所名誉会長のレオ・メラメッド氏に話を聞くと、「自分がスギハラ・サバイバルだからだ」とおっしゃったんです。「取引を通じて自由の概念を世界に押し広げていく場としてのマーケットは、自分にとって命を超える存在なのだ」と。これは私の米国取材の中でも非常に印象に残っている出来事で、今作の着想にもつながっています。

--タイトルにもつながってくる

手嶋 1944年、ブレトンウッズ協定が結ばれ、ドルはポンドに代わって基軸通貨となりました。以来米国は、ニクソン・ショックはありましたが、シニョレッジ(通貨を発行する権利)を使って、ドルを基軸通貨の横綱に据え続けてきた。冷戦下、旧ソ連は、武器取引や情報のために必要なドルを、ロンドンで調達するようになる。これは後に、ユダヤ系の銀行家の多くが運用するユーロドルと呼ばれ、米国の主権を超えた進化を遂げていきます。そして、現在FXと呼ばれるような為替の先物取引なども、スギハラ・サバイバルによって生まれてくる。つまり、杉原千畝の「命のビザ」が、「もう一つのブレトンウッズ体制」ともいうべき、戦後世界の大きな潮流を作ったといえるのです。

--杉原千畝というと、人道主義的な人物というイメージも強い

手嶋 彼がまぎれもなく偉大なヒューマニストだったことは間違いない。ただそれだけではなく、彼は偉大なインテリジェンス・オフィサーだった。インテリジェンスの世界では「物々交換」が基本。「命のビザ」にはもちろん人道的意図もあったでしょうが、ビザを発行する代わりに、当時、日本が国家として行く手を決めるような極秘情報を入手していた。そんな彼がまいた一粒の種が、戦後の世界の一潮流を形作ったということを今回、読者に伝えたかったのです。

--小説で書く利点は

手嶋 小説もノンフィクションも、つむがれた物語が人々の心を動かす力を秘めている点では同じ。リーマンショック以降、日本はやや方向感覚を失っている感がありますが、小説を読んで、司馬遼太郎が『坂の上の雲』の冒頭で「まことに小さな国」と呼んだ日本という極東の小さな島国が、世界の大きな潮流の方向を定めてきたのだということを分かっていただければうれしいですね。

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