手嶋龍一

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スギハラ・ダラー

国家を超えるサバイバル

毎日新聞 2010年3月9日

◇壮絶な人間ドラマ描く

ベストセラーになった『ウルトラ・ダラー』から4年。外交ジャーナリストで作家の手嶋龍一さん(60)が、小説第2作『スギハラ・ダラー』(新潮社・1680円)を刊行した。手嶋さん流のインテリジェンスが随所にちりばめられた小説世界。金融市場に潜む謀略を足がかりに、物語は70年の時を超え、現代に連なる壮絶な人間ドラマを描き出す。【棚部秀行】

NHKワシントン支局長時代、シカゴのマーカンタイル取引所の大立者レオ・メラメッド氏と話す機会があった。

マーカンタイルはブラック・マンデー(87年)の混乱のさなかでも、市場を閉じなかった取引所。メラメッド氏は「おれは『スギハラ・サバイバル』だ。ナチズムとスターリニズムを知っている自分たちにとって、アメリカは約束の地、市場は自由の象徴だ」と語ったという。

十数年のワシントン特派員生活で、「最も鮮烈な印象を受けた言葉で人物」と振り返った。本作誕生の大きな契機となったエピソードである。

「スギハラ」とは、外交官・杉原千畝(ちうね)(1900~86)のこと。第二次大戦時、在リトアニア日本領事館で、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人難民に通過ビザを発給した。「命のビザ」は約6000人を救ったといわれる。

「命のビザで生き延びた、スギハラ・サバイバルと呼ばれる人たちは、世界に新しい金融商品を生み出し、最も精鋭な資本主義の切っ先を開いていきました。最初の一粒をまいた人、杉原千畝の物語を紡ぐことで、戦後日本が世界秩序の創造に参画し、ある意味ではメーンストリームにかかわってきたことを物語で伝えたかったのです」

英国秘密情報部のスティーブン・ブラッドレーと、盟友の米国商品先物取引捜査官マイケル・コリンズ。『ウルトラ・ダラー』で北朝鮮の偽ドル札を追ったおなじみのコンビが、国際金融マーケットの闇に迫る。ブラック・マンデーや9・11テロ、リーマンショック……。大事件で市場がパニックに陥る時、その前後には決まって不自然な取引の形跡があった。

やがて2人は、ユダヤ人の苦難の歴史をたどり、スギハラ・サバイバルに行き着く。戦中、極東の国・日本で育(はぐく)まれた固い絆(きずな)を知る。「試練を経た友情や人間関係のみが、いざという時に役立ちます」

特派員時代に体得した感覚である。本作には、手嶋さんがインテリジェンスのネットワークで得た情報が組み込まれる。点と点が結びつき、確かな像が浮かび上がる。フィクションとノンフィクションの交錯、虚実が反転するような刺激的な世界がある。

前作は卓越したその先見性に「ニュースが小説を追いかけている」と注目が集まった。今回も中国人民元の完全変動相場制など、近未来の出来事が話題に上る。この小説からはどんな「事実」が飛び出すのか。手嶋作品のもう一つの楽しみ方である。

毎日新聞 2010年3月9日 東京夕刊

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