手嶋龍一

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ウルトラ・ダラー

凍河の底の「呑舟の魚」

C.S.(アメリカ財務省関係者)

「網、呑舟の魚を逃す」という中国の古い格言があるそうだ。巨悪はかえって法の網を逃れることがある、という意味である。司馬遷という中国の歴史家が紀元前1世紀に記した言葉だ。わたしが米国東海岸の大学で中国文学を専攻していた頃、あるアジア人の友達から聞いたことがある。「ウルトラ・ダラー」を読み、この格言を思い出した。

「ウルトラ・ダラー」の著者は、これまで熟練の国際ジャーナリストとして、生き馬の目を抜く国際政治の世界を時々刻々と報道し続けてきた。「一九九一年 日本の敗北」「ニッポンFSXを撃て ---日米冷戦への導火線・新ゼロ戦計画」(いずれも新潮社)の2冊を世に問い、国際政治の大海にうごめく奇怪な生き物たちをノンフィクション作品として余すところなく描き出した。これらの力作には日米両国のインテリジェンス関係者が注目し、私家版の翻訳まで出回った。わたしは関係者の一人にそれを見せてもらった記憶がある。

著者の冷徹なリアリズムとジャーナリズムは、北朝鮮の偽札プロジェクトという「呑舟の魚」を次の作品の標的に据えた。しかし彼はこの標的を描きだすため、スパイ小説という表現方法をあえて使っている。それはなぜか。

「ウルトラ・ダラー」という怪物は、これまで何人もの無辜の人々を拉致し、殺してきた。しかしあまりに巨悪に過ぎて、この怪物に法の網をかける正義のヒーローは出てこなかった。怪物は今なお、北東アジアの謀略の凍河の底で、やすやすと生きながらえている。その「呑舟の魚」と格闘し、幾重のタブーを剥ぎ取り、真実の姿を明らかにするためには、逆説的に小説という「虚構」を使わざるを得なかったのであろう。真実を真実と言うには、あまりに危険すぎるからである。

著者が巨悪を細部まであぶりだすため、小説という手法を使わざるを得なかった苦渋。真実に肉薄し得た者だけが獲得し得る、大河の底の砂金のような苦渋である。

わたしは半ば凍ったポトマック河を窓から眺めながら、北東アジアの凍河の底に棲む「呑舟の魚」に著者が注ぐ、鋭い視線に思いを馳せている。さらに河の向こうにはワシントンの象徴であり、5ドル札の裏に彫りこまれているリンカーン・メモリアルがかすかに見える。さらにそこから20分も歩けば、通貨の戦士シークレット・サービスたちの本拠に至るだろう。

「極秘であるべきインテリジェンスがどこかで漏れている。」

作中のこの詠嘆の言葉は、ワシントンのインテリジェンス関係者がこの「スパイ小説」に捧げる驚嘆と祝福の言葉でもあろう。決して明かしてはならない内情と暗闘がこの本には、正確な細部の描写とともに克明に描かれている。

著者があえて明るみに出した「ウルトラ・ダラー」の真実は、時を追って水面にその醜い姿を浮かび上がらせつつある。昨年12月には、米国務省はアジアを中心とする20数か国の外交官を集め、北朝鮮の偽ドル札作りの詳細について説明会を開いた。マカオで活動する北朝鮮関連企業に対する米財務省の制裁措置は、北朝鮮の核をめぐる6か国協議の帰趨を左右するような大問題に発展しつつある。

実は、水面に時折浮かび上がる「真実」こそが「スパイ小説」を後追いしているのだ。この現象こそが、稀代のジャーナリスト手嶋龍一の凄さを雄弁に語っている。

「ウルトラ・ダラー」は、彼の記念碑的な作品になるだろう。ワシントン・インサイダーとして、そして、偽ドル札への仮借ない戦いを知る者の一人として、脱帽と言う他はない。

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