手嶋龍一

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ウルトラ・ダラー

彫琢し抜いた情報こそが本質となる

月刊FACTA 見本誌掲載(対談形式)

―手嶋さんがNHKから独立して約半年、初めて挑戦したドキュメント・ノベル「ウルトラ・ダラー」が2月末に出版されます。ノンフィクションだった前2作の延長線にあって、これは「インテリジェンス小説」だと思います。「知性」という意味ではなく、「諜報」「情報」の意味ですが、手嶋さんのインテリジェンス観は?

手嶋 インテリジェンス小説として読んでいただければ、著者冥利に尽きます。この小説は、北朝鮮がつくる最新鋭の次世代「偽100ドル札」が縦軸だとすると、横軸は文字通リインテリジェンスです。インテリジェンスに何がしかの感覚をお持ちの方、音楽で言えば「絶対音感」に近い感覚をお持ちの方なら、百倍面白く読めるかと思います(笑)。

―北朝鮮など危機が現前する時代になって、はじめて本格的にインテリジェンスを考える素地が日本にできたのでしょうか。

手嶋 インテリジェンスとは何かという質問に、この小説の引用でお答えしましょう。オックスフォード大学で諜報要員のスカウト役の教授がこう語ります。「大文字で始まるインテリジェンス、これは知の神を意味することは知っているね。神のごとき視座とでもいおうか。さかしらな人間の知恵を離れ、神のような高みにまで飛翔し、人間界を見下ろして事態の本質をとらえる。これがインテリジェンス・サービス、そう、情報仕官を志した者の目指すものだ」。そして口伝を明かすのです。「知性によって彫琢し抜いた情報。それこそ、われわれがインテリジェンスと呼ぶものの本質だ」と。

―なるほど、それはジャーナリズムにも一脈通じていますね。ファクツ(事実)をいくつ並べても全体像には行き着かない。編集者による彫琢が欠かせないということですか。

手嶋 インテリジェンスの世界でもメディアの世界でも、彫琢はオーソドックスな手法のはずなんですが、現実にはほとんど行われていません。僕らジャーナリストは猟犬のような ものですから、あれこれファクツをくわえてきますが、それだけでは石ころを集めたにすぎません。心眼を備えたインテリジェンス・オフィサーは,石ころを見つめているうちに 異なる表情が見えてきます。エディティング(編集)もまた、そうでなければなりません。新雑誌FACTAは編集の大きな柱として「無署名」を掲げていますね。けっして陰に隠れて書くという意味ではなくて、編集によって全体像を再構成していくという意味のはずです。石ころを並べてあれこれつきあわせ、そこにこめられている意味を読みとる作業こそ、まさに編集だからです。

―署名記事は一見、責任の所在を明らかにして潔いようだけど、編集側がライターの知名度に依存して丸投げに陥りがちで、以外とライターの功名心や捏造に無防備です。ボブ・ウッドワードの「落ちた偶像」ぶりがそれを証明しています。

手嶋  ウォーターゲート事件で彼が調査報道の金字塔を打ち立てたことは、いくら評価しても評価しすぎることはないでしょう。でも、最近は見る影もありませんね。ワシント ンの同じ舞台で取材をしていますからよく見えるのです。イラク侵攻の舞台裏を書いた『ブッシュの戦争』は、日本でも何万部も売れたそうですが、おそらく今あの本を手にとる人は誰もいないでしょう。

―あっと思うような内幕の記述があって驚きましたけど。

手嶋 実はカール・ローブ(大統領上級顧問)をはじめとしたリークの所産で、ブッシュ政権中枢の「スピンドクター」と呼ばれる人たちの一種の情報操作のなかで踊っていたということが明らかになっています。ウッドワードという一人の高名なジャーナリストに名寄せされているけれど、「レッグマン」と呼ばれるおびただしい情報収集役の聞き書きを集めたもので、本当にウッドワードの作品かどうかとなると、本人も認めないでしょう。そのようなものが署名入りの記事として、あるいは署名本として優れたものかどうかは 十分に異論の余地があります。

―英国のエコノミスト誌は、博士号を持った教授クラスの第一級ライターを抱えていながら、頑固なまでに無署名で書かせています。

手嶋 国家の奥底に分け入って事実を取ってくる使命でいえば、インテリジェンス・オフィサーとジャーナリストはどこが違うんだと時々思いますね。そこで、真贋をどう見分けるか。僕の信頼する編集者は「文章を読みぬくしかない」と言っています。結局、編集者と記者の激しい葛藤、つまりエディティングからしか全体像は再現できないのです。

インタビュー 月刊FACTA編集長 阿部重夫

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