手嶋龍一

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ノンフィクション作品

ライオンと蜘蛛の巣

2006年12月24日付 『新潟日報』 掲載

詩情に満ちた二十九からなる断章である。描かれているのは非情なインテリジェンス(情報戦)の世界で、心ならずもそこに足を踏み入れた男女の緊張の息遣いが伝わる。

前作「ウルトラダラー」で精巧な偽ドル札を行使する北朝鮮のテロ工作とそれを追跡する米国財務省情報員の戦いを描いた著者が、各国を飛び回った取材活動の渦中でどれほどのネットワーク網を駆使していたのか、本書ではその一端を垣間見せている。

例えば第五章、アイルランドのブラスケット島に隠棲する元英国海軍情報士官の話。フォークランド戦争の予兆をロンドン本庁に乱打した士官からの警告電は握りつぶされ、左遷された。今は北海の孤島で読書ざんまいの彼が、島を訪ねた著者に語る。「枢要な公職にある凡庸な人物。これほど厄介なものはない」

続けて、現代の日本を評して、「冷戦で多くを得て、同時に多くのものを喪ってしまった」と。

二十三章は、西ドイツ首相のアデナウアーと英国外交官だったジョン・ルカレの挿話。ルカレは作品「ドイツの小さな町」で冷戦下のボンを諜報戦の舞台に選んだ。ライン川の渡し船上で、同船したアデナウアーがどの新聞記事を読むのかと、のぞき見る情報員ルカレの姿。六〇年代、米国の束縛から危険な脱出を試みたアデナウアーの思いを、ブッシュ米国大統領のイラク戦争に拒否権を行使した現在のドイツの意思に重ね合わせてみせる。

著者はNHK特派員の時代から、恐い物知らずのタフな記者だったが、半面でユーモアのセンスも抜群。本書でも笑える対句がいくつか。「警察官はドイツ人、料理人は英国人、機械工はフランス人で恋人はスイス人。そして、そのすべてがイタリア人の手で組織されている。これこそがこの世の地獄だ」

最近ではロシア元情報員リトビネンコの暗殺事件の取材に奔走していた。事件の真相を追って各国情報員や武器商人らが集うロンドンのカジノへと取材の触手を伸ばすなど、挑戦は続いている。

評・望月迪洋・新潟日報編集委員

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