手嶋龍一

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ノンフィクション作品

-政治のなかの死-

「本 読書人の雑誌」(講談社) 2008年 5月号掲載

ホワイトハウスの中庭を取り囲む木々が北風に烈しく揺れていた。木枯らしが吹き抜け、肌を刺すような寒さだった。荒れ模様の天候のためか、大統領を乗せたヘリコプター「マリーン・ワン」は予定の時間を過ぎても姿を見せない。クリントン政権は、対中国政策の舵をめまぐるしく切り替えていた。大統領にじかに真意を質そうと専用のリポートで記者たちが到着を待ち受けていた。

私のすぐ隣にUPI通信のヘレン・トーマスがいた。すでに七十歳の半ばを過ぎていたのだが、プレス・ルームの誰よりも働き者だった。歴代の大統領が「じゃまず、ヘレンから」と真っ先に指名する重鎮でありながら、大統領が現れるところなら何処でも姿を見かけたせた。「マリーン・ワン」が大幅に遅れ、黙っていては寒さが身にこたえるのだろう。ジャクリーヌ・ケネディの思い出を話してくれた。ローズ・ガーデンを指差して、あのファースト・レディがいまのような美しい佇まいに造り替えたのだと言う。

「あなたが接した八人の大統領のなかで、たったひとり、忘れえぬ人を選ぶとすれば誰」

レバノン系の血を思わせる大きな眼がきらきらと輝き、ヘレンは「決まっているじゃないか」といった表情をした。

「やっぱりケネディ大統領なんだなぁ」

彼女はおおきく頷いた。その眼差しは、若き大統領がジャクリーヌ夫人と愛らしい子供たちとここで暮らしていた日々を想って、夢見るようだった。

ホワイトハウス詰めの記者が投げかける辛らつな質問にじっと耳を傾け、いまは胸の内を明かすわけにはいかないという仕草さで、髪をかきあげるジョン・F・ケネディ。こうした記者たちとの心温まる触れ合いは、若かったヘレンにとって宝石のような想い出なのだろう。

そんな日々を打ち砕いて訪れた惨劇はあまりに痛ましかった。あの日、大統領に同行してダラスにいたのは、ヘレンの直属の上司、UPI通信のメリアン・スミスだった。この敏腕記者は、AT&Tの無線電話を積んだ取材車のなかで鳴り響く銃声を耳にした。

「ダラスの街なかをパレードしていたケネディ大統領の車列めがけて三発の銃弾が撃ちこまれた」

UPI通信の第一報であった。弾丸が頭蓋骨を貫通し、大統領はがくりと崩れ落ちた。ジャックリーヌ夫人は思わず夫の頭を膝に抱きかかえ、外の視線にさらすまいと背広の上着で覆った。ダークグレーの布地からは鮮血が染み出し、大統領は息絶えていた。

他社に先駆けて悲報を伝えたスミスは、大統領の車列が病院に着くまで無線電話を他の記者に渡そうとしなかった。病院に駆け込む際、電話線を引きちぎったとも伝えられている。

二〇〇八年の大統領選挙戦で民主党内の指名争いが異常なほど熱を帯びるにつれて、アメリカにテロルの影がふたたび忍び寄ってきている。肌の色の黒い者に大統領権力を委ねるわけにはいかない―。そんな黒々とした意匠がアメリカ社会の奥底に渦巻いていると、心ある人々は気づきはじめているのだ。

ひそやかな標的は、バラク・オバマ。私はこの青年政治家が大統領への道を歩みだす瞬間に立ち会っていた。二〇〇四年のボストン民主党大会で、彼は基調演説者として颯爽と壇上にたった。やがてイリノイ州選出の民主党上院議員となったバラク・オバマと連邦議会(キャピトル・ヒル)でも会っている。上院議員らしい風格は次第に備わってきていたが、ボストン党大会と較べてさして変わったという印象は抱かなかった。

だが、民主党の本命候補、ヒラリー・クリントンに挑んで名乗りをあげたバラク・オバマは、もはやかつての彼ではなかった。その表情からは晴朗な青年の面差しが消え去っていた。アメリカン・トライアスロンと呼ばれる過酷なレースを戦い抜くうち、したたかに勁くなっていただけではない。その瞳の奥深くには尋常ならざる覚悟が湛えられていた。

アメリカ大統領の座を目指そうとすれば、暗殺の惧れと真っ向から向き合わなければならない。忍び寄る危機を識る者のみが持つ覚悟が青年政治家を鋼のように鍛えあげていた。

現代のアメリカにもなお黒人大統領の誕生を阻む社会的なタブーは存在すると考える人々がいる。だが、そんな障壁は八年前の二〇〇〇年選挙ですでに乗り超えられてしまった。湾岸戦争の英雄と謳われたコリン・パウエル将軍が大統領選へ出馬する動きを見せると、テキサス州知事だった共和党の本命候補ジョージ・W・ブッシュは、取り乱すほどその存在を恐れたのだった。その事実こそ、アメリカに黒人大統領誕生の足音が迫っていることを物語っていた。

だが将軍の出馬に必死に抗ったのはパウエル夫人だった。夫が大統領選挙に名乗りを挙げれば、必ず暗殺されてしまうと疑わなかったからだ。アメリカ人の多くは、黒人大統領を受け入れようが、マーチン・ルーサー・キングを射殺した闇の勢力はなお巣食っていると信じていたのである。将軍は夫人の暗い予感を退けることができず、結局、出馬を断念してしまった。

政 ( まつりごと ) に関わるとは、すなわち、謀殺の危険と向き合うことなのである―。平和の国ニッポンからやって来た私が、そんな国際社会の冷厳な現実に思いを致さざるを得なかった。一九九〇年代の半ば、ニューイングランドの大学研究所で二人の同僚と出遭ったことがきっかけだった。ひとりは、果てしなき麻薬戦争が繰り広げられている中米のコロンビアからやって来た国防相。いまひとりは、独立を武力で勝ち取ろうとするタミール族の自爆テロが頻発するスリランカの大統領補佐官だった。彼らと過ごして一ヵ月が経とうとしていたときだった。ふたりの瞳の奥底から放たれる光が微かに柔らかになった。

そうだったのか―。ふたりはニューイングランドに逃れることで暗殺の危地を脱し、命ながらえた人々だった。「政治のなかの死」が遠景に遠ざかっていくにつれて、祖国に在ってなお戦い続ける同志への想いが、複雑に交錯していた。

古代の中国人は、国を捨てて他国に逃れることは、すなわち、命をほろぼすと考え、「亡命」の文字をあてたという。謀殺の危険から逃れて身は安堵されても、士としての命は亡んでしまう―。何という深い含意なのだろう。

コロンビアの国防相ラファエル・パルドにとっても、スリランカの大統領補佐官ミリンダ・モラゴダにとっても、祖国を脱することは「亡命」に他ならなかった。その証に、やがてふたりは、祖国で繰り広げられている政争の渦のなかに意を決して還っていった。 いかに民主制の衣をまとっていても、多くの国々ではいまなお、死の覚悟なき者が政に関わることを許さない。

だが、そんな 現実感覚を私たちはいつの頃からか摩滅させてしまった。 明治維新や昭和軍閥の時代を振り返るまでもない。戦後もなお政治はテロルと共にあった。

だが今日の日本では、政治指導者はもはや狙撃の標的にすらならない。それほどに、この国の政治は 弛緩 し、 緊迫感を喪失してしまっている。民主国家にあっては「政治のなかの死」などあってはならないと主張するひとも、暗殺の予感が勁い政治家を育んできた事実は否定 しまい。

『 葡萄酒か、さもなくば銃弾を 』と題して、それぞれの国に在って政と関わっている二十九人の群像を描いているうち、東アジアの経済大国の内面に拡がる巨大な空洞に震えるような戦慄を覚えてしまった。この国の政は瀕死の淵を彷徨っている。美酒に酔いしれても、銃弾を我が身に引き受ける決意が、喪われて久しいからだ。

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