手嶋龍一

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ノンフィクション作品

もうひとりのゾルゲに光

 私が政治記者として政局を追っていた時、著者とは時に競い合い、時に情勢判断を分かち合った間柄だった。
 この人はどうして、かくも深い情報を掴んでくるのか、と不思議でならなかった。現代史を彩ったスパイたちの素顔を描いた本書を手に取って、手嶋ワールドの秘密の一端を垣間見たように思う。情報源の懐にすっと入り込み、相手の信頼を勝ち得て、質の高い情報を引き出してくる。

 情報戦の主戦場がサイバースペースに移っても、最後の勝負は、濃密な人間同士のやりとりにいきつくと著者は指摘する。
 「人間力を駆使して持ち帰る情報こそ、ダイヤモンドのような輝きを放つ」

 確かに本書には人間的な魅力に溢れる情報のプロフェッショナルたちが次々に登場する。20世紀最高のスパイ、リヒャルト・ゾルゲもそのひとりだ。太平洋戦争の前夜、日本の指導部は、ソ連との対決を避けて北進せず、石油を求めて南進すると決断した――。政権中枢の情報をもとにこう言い当てて誤らなかった。

 だが、クレムリンが放った「赤い諜者」は神経を苛まれながら東京に潜んでいたのではない。著者は明治の海軍を率いた山本権兵衛の孫娘との交流から、新たなゾルゲ像に光をあてている。ゾルゲは華やかな戦前の銀座で多くの美女たちに囲まれて悠々と機密を手に入れていた。検事調書に描かれたスパイ像とは異なる「もうひとりのゾルゲ」がそこにあった。親交を結んだ女性たちを守るため司法取引を持ちかけていたのである。

 「ゾルゲは極刑の足音に慄きながらも、心を通わせた日本の女性たちを最後まで守り通した。それはニッポンの女たちを愛した、ゾルゲ最後の戦いだった」

本書は伝説のスパイやサイバー時代の叛逆者たちの列伝だが、「パナマ」という小国が隠れたテーマとなっている。超大国アメリカの影響下にありながら、大運河を抱える戦略上の要衝は、生き残りを賭けて国家の秘策を巡らしている。トランプ新政権の出現を受けて揺れる日本にとって多くの示唆に富む快著だ。

(北村経夫・参議院議員)

産経新聞 掲載

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