手嶋龍一

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鳴かずのカッコウ

毎日新聞「今週の本棚」『鳴かずのカッコウ』 

 公安調査官の秘密業務

 法務省の外局である公安調査庁は秘密のベールに閉ざされた役所だ。定員は1650人の小規模官庁で、公安調査庁のHPを開くと<すべては国民の安全のために 「情報の力で国民を守る」 それが公安調査庁です>と記されている。日本国憲法によって成立した政府を暴力主義的破壊活動によって転覆しようとする国内の政党、サリンを用いて大量殺人を行ったカルト集団、日本にとって脅威となる国家や、「アルカイダ」「イスラム国」(IS)のような団体を調査し、どのような行動を行うか予測し、政権の中枢に警鐘を鳴らすのが公安調査官の仕事だ。公安調査官は司法警察員ではないので、逮捕権などがない。情報収集はヒュミント(人を情報源とするインテリジェンス活動)とオシント(公開情報諜報(ちょうほう))が中心となる。

 「公安調査庁がたいした仕事をしているとは思えない。必要ない役所だ」というようなことを言う人がいるが、それは公安調査庁の実態を知らない素人だ。評者は外務省国際情報局(現在の国際情報統括官組織)に主任分析官として勤務していたときに公安調査庁が作成した報告書を日常的に読んでいた。足で取った機微に触れる情報には外務省が持っていない貴重な内容のものがあり、仕事に役立った。外務省に出向していた公安調査官は、話が面白く、人間的に信頼できる人たちだった。流石(さすが)にヒュミントのプロだと思った。

 外交ジャーナリストの手嶋龍一氏は、CIA(米中央情報局)、SIS(英秘密情報部いわゆるMI6)などインテリジェンス機関の内情に通暁している。独自の人脈構築能力を駆使して手嶋氏は公安調査官から秘密業務の実態について詳しいブリーフィング(説明)を受けたようだ。その成果を活(い)かしつつ、情報源が露見しないように細心の注意を払ってできたのがユニークなインテリジェンス小説『鳴かずのカッコウ』だ。主人公の梶壮太は、関西の国立大学法学部で国際政治を専攻し、国家公務員一般職員(いわゆるノンキャリア)試験に合格して公安調査庁に採用された。大学時代のサークルは「漫画研究会」に属していた、温和(おとな)しい青年だ。公安調査庁を志望したのも、公務員は身分が安定しているからという考えからだった。入庁が内定してから採用パンフレットを読み直し、公安調査官であることを秘匿しなくてはならないことを知る。

 公安調査官になった壮太は、北朝鮮、中国、国際的な武器輸出など仕事でさまざまな問題を扱ううちに超一級のインテリジェンス・オフィサーに成長していく。ソ連時代の軍事技術がウクライナから中国に流出している現実、バングラデシュの廃船ビジネスなどについて手嶋氏は深い取材をした内容をこの小説に盛り込んでいる。最終的に壮太は公安調査庁を退職し、島根県松江市で祖母の家業を引き継ぎ古美術商になる。しかし、この退職には裏があった。<公安調査庁にはごく稀(まれ)なのだが、重偽装を施して地下に潜伏している調査官がいる。役所の極秘名簿からも名前が消され、公安調査庁の司令塔である参事官室だけがその存在を知っているにすぎない>。この小説によって公安調査官の努力が国民に知られるようになることを評者は歓迎する。重偽装した壮太の活躍を記した続編を読みたい。

(佐藤優 作家、元外務省主任分析官)

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